南宮大社
(なんぐうたいしゃ) |
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摂末社祭神 |
彦火火出見命(ひこほほでみのみこと) | 見野命(みぬのみこと) |
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地図
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住所 |
〒503-2124 岐阜県不破郡垂井町宮代字峯1734番地の1 |
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由緒由来 |
御祭神金山彦命は、神話に古く、伊勢神宮の天照大神の兄神にあたらせられる大神様であります。社伝によれば、神武天皇東征のみぎり、金鵄を輔けて大いに霊験を顕された故を以て、当郡府中に祀らせられ、後に人皇十代崇神天皇の御代に、美濃仲山麓の現在地に奉遷され、古くは仲山金山彦神社と申し上げたが、国府から南方に位する故に南宮大社と云われる様になったと伝えます。御神位は古く既に貞観15年(873)に正二位に叙せられ、延喜式の神名帳には美濃国39座の内、当社のみ国幣大社として、名神祭にも預る大社に列せられています。天慶3年(940)、平将門の乱の言朱伏の勅願や、康平年中(1058-65)安部貞任追討の神験によって、正一位勲一等の神位勲等を極められ、以来、鎌倉、室町、戦国の世を通じて、源氏、北条氏、土岐氏等の有力な武将の崇敬をうけ、美濃国一宮として、亦、金の神の総本宮として、朝野の崇敬極めて厚い名大社であります。御社殿 現在の社殿は、天下分け目の関ケ原合戦の折、兵火にかかって炎上の為、再建を願う美濃国人の只管なる念願と、この西濃に生い育った春日局(家光公の乳母)や、竹中伊豆守(竹中半兵衛の一族)等の厚い崇敬心と相俟って、寛永19年の秋九月、徳川三代将軍家光公の天下普請によって、旧構のままに造営されたものであります。以来、歴代将軍の替わる毎に405石の朱印状を捧げてこれを安堵し、また、51年目毎の式年遷宮をも、古式を護って、これを奉仕し続けて来たのであります。社殿様式は「南宮造り」と称せられる名建築であります。寛永御造営の棟札を始め、造営文章623冊を蔵し、これに維新の神仏判然令によって移築された堂塔も含めて、細大洩らさずその経費が明示され、御社殿・石鳥居・石輪橋等18棟とともに国の重要文化財に指定。
特殊神事 御鎮座金山祭(通称ふいご祭)11月8日
節分大的神事 2月節分日
文化財等 国指定重要無形民俗文化財(5月4,5日)御田植神事
神輿渡御神事
国指定重要文化財 本殿以下18棟
太刀 銘三条外 |
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祭礼情報 |
公式HP |
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5月5日 |
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