| 八幡神社
				(はちまんじんじゃ) | 
      			|  |  | 
            		| 
          			
          			| 主祭神 |  | 応神天皇(おうじんてんのう) |  | 比□羊神(ひめがみ) |  | 神功皇后(じんぐうこうごう) |  | 
                	| 
                		
                		| 摂末社祭神 |  | 神明皇大神(しんめいこうたいじん) |  | 斎主神(いわいぬしのかみ) |  | 天児屋根神(あめのこやねのかみ) |  | 比□羊神(ひめがみ) |  | 白山姫神(しらやまひめのかみ) |  | 須佐之男命(すさのおのみこと) |  | 
          		| 
              			
				|  | 地図  |  | 住所 |  | 〒501-0464 岐阜県本巣市十四条字村之内859番地 |  | 
          		| 
              			
				| 由緒由来 |  | この地は大化改新の頃この平野を開発し各自の崇敬する神霊を勧請し庄の北端である十四条に奉祀したのが本社の起源である。其の後享録3年4月西濃一円の大洪水の為五社共流出、辛うじて御神体のみを御遷座。同年9月現在地を選び再建されたと言い伝えられている。再建された社は相当大規模な物で、山伏屋敷、神主屋敷等を擁し、船木六郷の総社として春秋二季の例祭外毎月3日の月次祭には六郷名主庄屋郷を代表して幣帛を奉ったとされている。その後永録5年5月の織田・齋藤の軽海合戦のおり、社殿その他を悉く焼失。当時は戦乱相続き復興能わず。五社一殿の仮宮に奉祀し祭祀を営んで来たが、下五郷の希望により永録9年8月各分霊を各郷に奉遷。爾来下五郷の奉幣慣例はなくなり十四条一郷の氏神として奉祀するにいたり、焼失後30年を経て文録2年本殿、拝殿等を造営。その後数次の葺替え修理が行なわれ昭和58年9月に拝殿、幣殿、宝物殿の改築が行なわれ、また本殿の屋根葺替え、玉垣、手水舎もその折改築された。 |  | 
                     	|  |