八幡神社
(はちまんじんじゃ) |
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主祭神 |
応神天皇(おうじんてんのう) | 天照皇大神(あまてらすすめおおかみ) | 豊受大神(とようけおおかみ) | 家津御子神(けつみこのかみ) | 速玉之男神(はやたまのおのかみ) | 熊野久須美神(くまのくすみのかみ) |
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地図
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住所 |
〒503-0006 岐阜県大垣市加賀野375番地の1 |
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由緒由来 |
当社の創建は康永年中とす。史料として左の記録あり。享和三年大垣御領内明細記に一、八幡宮二尺九寸五尺九寸境内三反一畝二歩御除地。一、権現社四尺一寸二尺八寸 境内一反六畝三歩御除地。右大門二畝十四歩御除地。一、神明宮 一尺 一尺五寸 境内一畝二十八歩 御除地。一、社宮社 無之 境内二十五歩 御除地。 右記録に依り御除地とあるは現今で云ふ官有地に属するものであって領主(城主)より黒印免状をもちい境内よりの年貢米を納めなくてもよい土地で、又此の御除地となれるものは徳川時代以前則ち戦国時代頃より前に創立せるものなるを知るべし。氏神八幡宮 後藤五郎左ェ門基道卒而後葬郭内祭基直霊号八幡社本丸西鎮座地也。祭日八月十五日別に熊野権現社往古号日高明神是社也。正和の頃あるかなきかの如くになりけるを基道再熊野権現の社を建立して氏神とせられけむる。蓋し日高明神は世保庄十八ヶ村の惣社なり。祭日は四月十七日也。又別に余宮明神神明宮の二社あり。熊野権現八幡宮の由来は委く縁起にあり。以上記録のうち基道死後神とまつり八幡宮と号すとあるより見れば基道の卒去年月は康永元年八月十五日なれば、創建は康永年中と考察す。明治四十年十二月熊野神社及神明神社を合併す。昭和十八年十月指定村社となる。 |
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