八幡神社 (はちまんじんじゃ)
通称     
主祭神  
      応神天皇(おうじんてんのう)
      天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
      豊受大神(とようけおおかみ)
      素盞嗚神(すさのおのかみ)
摂末社祭神     
地図 map
住所        
〒503-0005 岐阜県大垣市和合本町717番地
由緒由来  
創建年月不詳なれども、美濃明細記に「安八郡下開発村八幡大菩薩境内三反余大門通百八十間領主より除地とあり。里俗八幡神社と称せず大菩薩の宮と云ふ。往昔三町六反六畝十八歩の朱印地ありしが、豊臣氏の時之を廃す。大門の東に字御手洗池と云ふ田あり。今蓮池と云ふ。同じく西に菰敷田と云ふあり。皆古への境内なり。菰敷田とは年々九月十五日祭典時人民自他の別なく此の所に席を設けて神酒を拝戴し、後数日間猶祭日の如く行人をも酔はしめ日夜舞踏せしより開発祭の明日知らずと諺に伝へり。往古より十八ヶ村の総社として牧新田、上難波、今福、深池、古宮、直江、大村、三本木、小泉、万石、波須、沢渡、小野、津村、上開発、大島、加賀野、以上十八ヶ村文政五年社殿造営の時各里長参拝し、初穂も献じ神酒神供直会せり。猶又維新以前迄は宮守春秋の両度作物の初穂を集めて献納す。故に年始め九月祭典の神供を分配せしが、維新以後は此の事を廃す。現存する棟札は元禄十一年十二月、正徳二年十月、享保三年のものあり。享和三年御領内明細記下開発村の條に左の記録あり。一八幡宮 社四尺五尺 鳥居一丈四尺六寸一丈二尺右大門二間二尺百八十間 二反六畝十二歩 内一反十歩二反五畝二十歩御除地。明治四十三年十二月弥助縄無格社神明神社南村津島神社を合併す。
祭礼情報  
10月10日