八幡神社
(はちまんじんじゃ) |
|
|
|
摂末社祭神 |
大帯姫命(おおたらしひめのみこと) | 大鷦鷯命(おおささぎのみこと) |
|
|
地図
|
住所 |
〒509-6104 岐阜県瑞浪市山田町468番地 |
|
由緒由来 |
寛文8年南側の地に八幡山安楽院神誓寺を建立して社僧を居き、法印法師たる身分を以って弔事を除く神仏祭事一切を司りて七代、約200年を経たり明治初年神仏分離令が制定され、以前の行為は凡て排除され神官を以って神徳高揚に任ぜられる。明治6年神社諸制度改革のおり当宮も八幡神社と社名を改め社挌を村社に指定される。戦後奉幣制度が変更になり当神社は白幣社と定められた。主祭神 応神天皇?譽田別之尊 副祭神 神功皇后?大帯姫之命 副祭神 仁徳天皇?大鷦鷯之命 此の母子三柱の大神は常に親和協調の大神心を以って上下万民の幸を一つにせんとする政を施され、また特に文武の守護神にして後世までも御神徳を慕ひて乞祈り奉られる大神である。創立は弘治3年(古文書により此の年を創立年と定むる)以後八拾年を経たる寛永15年に本殿が再建された、その時の棟札が現存する。当時仏教の伝来によりその布教は熾烈にして遂に神域までに浸透し当宮も本地仏を迎へ合祀して八幡宮と稱し神仏習合の宮となれり。寛永年間の創祀か。寛永十五年八月御寶殿造立の棟札写在り。正保三年明智領主遠山勘右衛門崇敬ありて山田村字祢宜屋上の下田一反一畝歩下畑二畝四歩社領として免除されたり。 |
|
|
|