久津八幡宮 (くづはちまんぐう)
通称     
はちまんさま
八幡さま
主祭神  
      応神天皇(おうじんてんのう)
      天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
      春日大神(かすがのおおかみ)
摂末社祭神     
      大雀命(おおささぎのみこと)
      倉稲魂神(うかのみたまのかみ)
      火産霊神(ほむすびのかみ)
      大山祇神(おおやまずみのかみ)
      須佐之男命(すさのおのみこと)
      事代主神(ことしろぬしのかみ)
      磐長姫神(いわながひめのかみ)
      菅原道真(すがわらみちざね)
      久久能智神(くくぬちのかみ)
      美魂神社(みたまじんじゃ)
地図 map
住所        
〒509-2518 岐阜県下呂市萩原町上呂2345番地の1
由緒由来  
今から1600年も昔、飛騨国に両面宿儺という怪賊がいて、時の仁徳天皇は御弟の難波根子武振熊命を飛騨国にお遣わしになって宿儺を討って飛騨国を平定開拓されました。この時、武振熊命は、御父応人天皇の御霊をお祀りして武運長久と国土平安を祈られましたのが久津八幡宮の始めであると伝えられています。それから八百年余後、平治の乱(1159)の時飛騨へ募兵入国した源氏の嫡流源義平が武運長久を祈って、久津八幡宮に関東の鶴岡八幡宮の神さまを勧請致しました。その後室町時代の応永19年(1412)に飛騨国領主白井太郎俊国が、現在の本殿を再建し、又桃山時代の天正9年(1581)には飛騨国領主三木自綱によって現在の拝殿を建てられました。その後も飛騨国を領した金森藩主や徳川幕府の代官郡代によってつぎつぎと修理造営が行なわれて今日に至っております。また飛騨の古い俗謡に「飛騨で一番一之宮、二には荒城安国寺、三に上呂の久津の宮」と謡われているのは、飛騨二の宮として飛騨国中から篤い崇敬がよせられていた事を物語るもので、古記録によりますと、飛騨国はいうまでもなく、隣国、越中、美濃まで広く崇敬が及んでいたことがしられます。
文化財 国指定重要文化財 本殿1棟 拝殿1棟
天然記念物 夫婦杉
祭礼情報   公式HP url
4月第3日曜日