飛騨一宮水無神社
(ひだいちのみやみなしじんじゃ) |
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摂末社祭神 |
大己貴命(おおなむちのみこと) | 三穂津姫命(みほつひめのみこと) | 応神天皇(おうじんてんのう) | 高降姫命(たかみねひめのみこと) | 神武天皇(じんむてんのう) | 須沼比命(うぬまいのみこと) | 天火明命(あめのほあかりのみこと) | 少彦名命(たかてるひめのみこと) | 高照光姫命(あめのくまひとのみこと) | 天熊人命(あまてらすすめおおかみ) | 天照皇大神(とようけひめおおかみ) | 豊受姫大神(おおどしのかみ) | 大歳神(おおやぎのみこと) | 大八椅命 |
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地図
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住所 |
〒509-3505 岐阜県高山市一之宮町大野郡宮村字石原5323番地 |
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由緒由来 |
古来、飛騨国一ノ宮として名高く、創始年代は神代にありと社伝にもあるが詳らかではない。史上にあらわれるのは平安初期、貞観9年(867)神位を授けられた記事にはじまる。中世鎌倉時代には社領は付近18ケ村に達し、社家12人と社運が隆盛であったが、戦乱にかかわって荒廃をみた。江戸時代に入って歴代の領主、代官、郡代(天領時代)の尊崇をうけ、また、一般の厚い信仰にささえられ、明治4年5月14日、太政官布告によって国幣小社に列せられ、昭和10年より国費をもって10年の歳月を要する造営がなされ今日の社殿が完成した。昭和21年2月官制廃止後は神社本庁に所属し現在におよぶ。社名の水無は『みなし』(水成)または、『みずなし』とも読み、俗に『すいむ』と音読することもあるが、水主の意味である。社前を流れる宮川の川床があがり、流れは伏流して水無川となり、水無川、水無瀬河原、鬼川原(覆ケ川原)の地名となっている。この宮川の源流位山は日本を表裏に分ける分水嶺になっており、水主の神の坐す神体山として当神社の奥宮と称している。この霊山には一位(櫟)の原生林があり天然記念物とされ、平治元年(1159)には飛州一宮神主から位山の一位の御笏を献上したことがみえるのをはじめ、一宮神領、位山の一位をもって謹製した笏を歴代天皇御即位に献上するのが例となって今日に至っている。 |
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