長屋神社
(ながやじんじゃ) |
|
|
主祭神 |
建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと) | 櫛名田比売神(くしなだひめのかみ) | 須賀之八耳神(すがのやみみのかみ) |
|
摂末社祭神 |
八王子神社(はちおうじじんじゃ) | 八幡神社(はちまんじんじゃ) | 若宮八幡神社(わかみやはちまんじんじゃ) | 池大明神社(いけだいみょうじんしゃ) | 神明神社(すがおおかみてんじんしゃ) | 菅大神天神社(かさがみじんじゃ) | 瘡神神社 |
|
|
地図
|
住所 |
〒501-0412 岐阜県本巣市長屋1117番地の1・2 |
|
由緒由来 |
永正の頃居村杉之社と申す所に鎮座之有其の地の字を神下路と唱ふ。天文元年当國元太夫先祖長屋大膳亮景興今の地へ勧請。天文十六年相羽城落城と共に当村に引移り居住し氏を以て村名となすと美濃明細記等にも顕然たり。(長屋祀二十五代連綿として現住)その後文禄並びに元禄両度の火災にて悉く灰燼造営再三にして元太夫方困窮にて造営困難にて、本社の儀は当村市郎左衛門と申者に相頼候由、爰に景興始めて勧請仕の條由緒を以て本社拝殿末社八王子神社に至る迄総ての箱棟に元太夫に花澤瀉左の三巴今以て付来由候尤式内の社には無之趣御代々御支配御領主様大垣藩主別段御崇敬の社にして別て六月祭礼の節御代参之有り。寛文六年迄為御供米御米一石宛御寄進遊ばされ、その後安永迄金五百疋宛又三百疋に相成尚御倹約被仰出当時金百疋宛御寄進被仰下置候。慶応四年長屋牛頭天王と御変号被仰出候に付き、由緒書神祇官へ差上候処明治二年五月十四日長屋神社と勅許尤も古来より村社に之有。明治六年一月郷社に被相定候。本社は疫除並に武勇の神として遠近参拝多し。杉之神社由緒。昭和二十七年一月十六日神社本庁より合併の承認を受く。永正二年の創建にして霊験あらたか相羽城主長屋大膳亮景興公の尊崇深く再三社殿を再建して大正十年社殿改築す。八幡神社の由緒。昭和二十七年一月十六日神社本庁より合併の承認を受く。天文十六年の創建にして長屋大膳亮景興戦死後其の一族本村に居住し信仰せしものにて再三社殿再建し、明治三十年及び大正十四年七月更に社殿を改築す。若宮八幡神社の由緒。昭和二十七年七月十六日神社本庁より合併の承認を受く。天文十六年の創建にて長屋大膳亮景興戦死後其一族により崇敬せられ、再三社殿再建し、明治三十年、大正十四年七月更に社殿を改築す。
江戸中期から続く「馬かけ祭り」は中世にさかのぼる可能性がある。祭祀用に植えられたと伝へられるナギの木は元禄3年と推定。樹齢およそ300年を経過している古木がある、特殊神事、「馬駆け神事」「一本茶漬」文化財等「馬かけ祭り」(県重要無形民俗文化財) |
|
祭礼情報 |
|
馬かけ祭り(うまかけまつり) |
8月1日〔2日間〕 |
|