金神社
(こがねじんじゃ) |
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主祭神 |
渟熨斗姫命(ぬのしひめのみこと) | 日葉酢姫命(ひはすひめのみこと) | 五十瓊敷入彦命(いおきいりひこのみこと) | 市隼雄命(いちはやおのみこと) |
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地図
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住所 |
〒500-8842 岐阜県岐阜市金町5丁目3番地 |
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由緒由来 |
当神社は古来殖産興業、財宝主宰、金運招福の御神徳あらたかな神として、篤い信仰を集めている美濃国屈指の名社である。御鎮座の年代は遠く上代に在って、成務天皇の御代(西暦135)、物部臣賀夫良命が国造としてこの地に赴任され、国府をこの高台に定められ、篤く金大神を尊崇されたと伝えられている。境内の東北の隅に命を祀る古墳「賀夫良城」(かぶらぎ)があり、近くに「蕪城町」という町名が存するのも之に由来するものと思われる。当神社の主祭神渟熨斗姫命は、景行天皇の第六皇女で、伊奈波神社の祭神五十瓊敷入彦命の妃である。、後の世の人々の心の支えとなり、慕い仰がれ、やがてはそれが、人々に財をもたらす御神徳を有する神として尊崇されるようになった。元和3年(西暦1617)加納城主は本殿、拝殿、瑞垣、鳥居等を建立寄進している。明治36年より数年の歳月をもって本殿、祭文殿を始め諸建物を造営したが、昭和20年7月9日岐阜市空襲により烏有に帰した。昭和33年に至りて漸く一応の復興は出来たものの、時局財政困難な状況下での造営であったため、建築資材等も思うにまかせず、又その規模も小さく、年を逐って老朽化が進んで来た。そこで昭和58年に造営奉賛会を結成し、会員、氏子崇敬者の赤誠溢るる協賛により、昭和63年3月金神社有史以来の大造営をみたのである。 |
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