| 野宮神社
				(のみやじんじゃ) | 
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                		| 摂末社祭神      |  
              			|       速開津比売神(はやあきつひめのかみ) |  |       瀬織津比売神(せおりつひめのかみ) |  |       気吹戸主神(いぶきどぬしのかみ) |  |       速佐須良比売神(はやさすらひめのかみ) |                			
            			 
            		     | 
          		
          		
            			
              			
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				    地図
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                		| 住所         |  
                		| 〒502-0908 岐阜県岐阜市近島829番地の1 |  
              			
            			 
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				| 由緒由来   |  
				| 野宮神社は檀林皇后(西暦786?850)を主神とし、速開津比賣神、瀬織津比賣神、気吹戸主神、速佐須良比賣神の四祭神を合祀し殖産興業の祖神として、また子弟の勉学を司る神として古くから崇敬を集めているお社であります。主神の檀林皇后は贈太政大臣正一位橘清友公の御息女で橘嘉智子姫と申し弘仁6年(西暦815)嵯峨天皇の皇后になられたお方であります。皇后は人となり寛和絶世の美人で佛教への信仰も篤く京都嵯峨に檀林寺を建立されたほか多くの宝幡や繍文の袈裟を作り、これを僧慧萼に託し唐(現在の中国)の寺院にも多数寄贈されております。また学館院と称する学校を開いて多くの人々の教育にあたられる等教育面においても大きな功績を残しておられます。私達の祖先が縁あってこの地に檀林皇后を主神としてお迎えし野宮神社として御鎮座申し上げたのは天正元年9月(西暦1573)で爾来今日まで野宮神社を篤く尊敬してきました。この地方の産業の興隆発展と子孫の繁栄は大神の広き厚き御神徳の然らしむるところで誠に畏き極みであります。現在ある御社殿は弘化2年(西暦1844)に再建されたもので、当時千両で再建したと記録にあるだけに荘厳華麗見事な建造物であります。また以前あった御拝殿もこの御社殿にふさわしい建物として昭和11年に再建されましたが、先の大戦により惜しくも烏有に帰するところとなりました。茲において今般同志相寄り相謀って御拝殿再建奉賛会を組織しこのことに当り本日ようやくその竣工を見るに至りました。これ偏に本事業に深い御理解とご厚情を賜った氏子をはじめ多数皆様方のご支援の賜もので厚く御礼申し上げるとともにこの機に際し野宮神社の縁起を記し名実共に、この地方の名社として高く尊きご神威を愈々宣揚せんと希うものであります。 |  
              			
				 
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