貴船神社
(きふねじんじゃ) |
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地図
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住所 |
〒501-0418 岐阜県本巣市七五三617番地 |
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由緒由来 |
天正三年頃までに原隠岐守長頼が貴船の神を勧請したと伝えられている。土岐源氏の一族土岐光定の男定親は原氏の祖である。十代後裔原隠岐守長頼が中野地区に築城(花木城、次期、場所不明)、三万六千石を領し、勢い盛んであった。織田信長に仕え、天正三年越前に攻め入り越前國大野に移住した。天正十一年賤ヶ岳の合戦の折柴田勝家側に属して秀吉に降った。其の後関ヶ原の戦いで西軍につき、敗れ、京都の妙心寺にて自刀。領地は没収された。土岐光定の兄、光俊が相羽(饗庭氏)に領地を与えられた。その孫土岐國継(小弾正二郎)が小弾正を國行(屋居三郎)が屋井を、それぞれ分家して領地を治めた。小弾正春日神社は、享禄三年六月三日の大洪水で文書も流失し不明であるが、弥光天皇応永三十三年大塚孫六頼忠(小弾正氏五代目)が時の将軍足利義持より福応寺寺領三ヶ所、境内の鎮守として、春日神社を合わせ五ヶ所を賜う。江戸時代に入って、七五三区は、土岐頼芸の子頼次の系列(?土岐鎗吉)と土岐頼元の系列(?左京大右)、幕領(後に大垣領)の三系列で治められた。なお更屋敷は元禄年間小弾正村より分離独立し、中野の田中宮を崇拝した。井水、享禄三年の大洪水により、根尾川本流が糸貫川から藪川に移った。江戸時代以前から、主に糸貫川から取水し、同川東方を灌漑する席田用水と藪川から取水し糸貫川西方を灌漑する真桑用水との間を井水地域という。両用水の間及び内部の井水組間でも用水確保のための紛争は、明治大正時代まで繰り返された。 |
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