稲荷神社
(いなりじんじゃ) |
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地図
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住所 |
〒500-8891 岐阜県岐阜市香蘭2丁目91番地 |
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由緒由来 |
当社は正一位豊竹やかん稻荷大明神を奉祀す。伝によれば今より1350年前推古天皇15年2月聖徳太子敬神の詔を発し給ひ其後諸国御巡視の砌、近江路にて木蔭に憩ひ給ふ時、伏見稲荷の霊狐30余才の武人に権化して坂本豊竹と名乗り給ひ、御前に跪き不肖御召連れ給はば如何なる深山の奥迄も御案内申すべく、実に世渡りの一筋我に御任せ候へと申し上げたるところ、太子の尊顔も麗しく、之を平らけく聞し召して美濃路に入り、此郷に着かせられ、自身の姿を彫刻の上、汝此の地に留るべし、必ず別所に往く勿れと仰せありて太子此地を発し給ふ。其後700年を経て鏡島弘法の縁りある一山国師霊威を得て稲荷真狐王の社を営まる。或日白髯の老翁現れ其奇篤を嘉し、我子孫は栖んで諸人に八つの歓びを施すべしと、即ち一家長久、家内和合、息災延命、子孫繁栄、地福円満、商売繁昌、天下泰平、悪疫退散、之れなりと宣ひて忽焉として消え給ふ。爾来神徳霊験顕著なるを知らざるものなきに至り、年毎に近郷近在の崇敬者増加し大神を慕ふに至り、殊に幕末から明治にかけては大いに賑はひ御神徳を仰ぎたり。現在天保年間の夜燈を存し、恐らく岐阜最古の崇かなる稲荷明神とす。右の所謂によって、坂本豊竹の豊竹をとり豊竹稲荷と申し又八歓の功徳を讃へ、やかん様と奉称する。一時は荒廃に帰するが如きであったが、昭和33年3月21日地元数町内挙って氏子となり、御神体の無事を歓び、改めて堂宇を奉り御遷座申上げ、毎月21日を命日に又3と8の日を縁日と定めて懇ろに祭祀祈祷し奉る。因に元津神は京都伏見山間の峰に坐す。「鏡島はやかん詣らにゃ片詣り」 |
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