| 稲荷神社
				(いなりじんじゃ) |  
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                		| 摂末社祭神      |  
              			|       松寿彦神(しょうじゅひこのかみ) |  |       武直彦神(たけなおひこのかみ) |                			
            			 
            		     | 
          		 
          		
            			
              			
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				    地図
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                		| 住所         |  
                		| 〒503-2107 岐阜県不破郡垂井町岩手2290番地 |  
              			
            			 
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				| 由緒由来   |  
				| 当社の御祭神は古く当地の産土神として奉齋されしものと拝せられ、恐らくはその創祀の当初五柱の祭神を奉祀されたるに依り当地の字名を五明と呼ぶに至りしものにあらざるかと推考さる。以来永き時代の変遷に伴ひ中世群雄割拠を来たし就中竹中重元当郡岩手を領するに及びては、其の子半兵衛重治に至り、雄名あまねく天下に知らるると共に勢ひその城下に鎮座さるる当社の御神徳も、その崇敬の許にいよいよ高揚さるるに随ひ祭神も次々と増祀されしものの如く、遂には稲荷神社の社名に代表されて今日に及べり。因みに相殿神松寿毘古神霊は天正年間姫路城主黒田官兵衛孝高の子松寿丸(長じて長政)織田信長へ質人となりて、竹中氏に託されし折、信長誤って孝高を疑ひこれを殺さん事を命じたるに、半兵衛よく事情を洞察してこれを守り後に孝高に還せり。黒田家よくこの恩義に感じ、子孫は竹中氏の華冑喜多村氏と共にこれを録の地に合せ祀りて家運長久の守護とせり。以来当社境内地は喜多村氏の所有となりしが、後竹中氏の所有となり、五明氏子これを譲り受けて今日に及ぶ。 |  
              			
				 
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