石作神社
(いしづくりじんじゃ) |
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地図
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住所 |
〒501-6002 岐阜県羽島郡岐南町三宅9-120 |
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由緒由来 |
第60代醍醐天皇の延喜年間に着手され、延長5年(927)に完成した。延喜式の神名帳に石作神社が六社記載されており、そのうち4社が尾張地方御鎮座になっている。建眞利根命は、天照大神の御ん孫天火明命の6世の子孫である。第11代垂仁天皇の皇后日葉酢媛命のため石棺を作って献上し、大連公の姓を賜った。石作大連公は建眞利根命の子孫である。石作氏一族は石作りを業とし、各地で活動する大氏族となり、祖先をお祀りする石作神社を創建した。式内社が尾張地方に4社もあることは石作氏一族の繁栄を示している。勧請年紀不詳。当社は葉栗郡上門間の庄三宅村(古名井口村)の枝名木瀬の里にあり。天正年前は尾張國葉栗郡の内なり。延喜式神明帳曰く、尾張國葉栗郡(十座の内)石作神社。尾張神名帳に曰く、葉栗郡(十二座の内)従三位石作天神一本作正四位下。尾張志曰く、美濃國葉栗郡三宅村石作大明神是也。尾張國神名帳集説考訂曰く、従三位石作神社正生考美濃國に入る葉栗郡三宅村の枝村なる石作明神是なる可し。承久記に伝へるあり。氣瀬の渡り是なり。今は其川も田所となれり。新撰美濃志曰く、三宅村石作大明神社村内に在り云々。当社昔より石作大明神と称せるを濃陽志略本國帳集説等に式社の考をもらせり。姓氏録左京神別曰く石作連は火明命六世の孫建真利根命の後なり。垂仁天皇御代奉為皇后日葉酢媛命作石棺献之乃賜姓石作大連公也。又尾張國中島愛知両郡にも石作神社あり。石作連は尾張氏同祖にして天火明命の裔孫なり。 |
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