白山神社
(はくさんじんじゃ) |
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主祭神 |
伊邪那美命(いざなみのみこと) | 伊邪那岐命(いざなぎのみこと) | 菊理姫命(くくりひめのみこと) | 天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと) | 天穂日命(あめのほひのみこと) | 天津彦根命(あまつひこねのみこと) | 活津彦根命(いくつひこねのみこと) | 熊野久須毘命(くまのくすびのみこと) | 田心姫命(たごころひめのみこと) | 湍津姫命(みずつひめのみこと) | 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと) | 猿田彦命(さるたひこのみこと) |
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摂末社祭神 |
大山祇神(おおやまずみのかみ) | 豊宇気毘売神(とようけびめのかみ) |
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地図
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住所 |
〒501-3705 岐阜県美濃市立花907番地 |
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由緒由来 |
当社は美濃市立花、長良川の清流に望み、板取川の長良川に注ぐ所ろ山の麓に鎮座する。白山街道(郡上街道)は長良川左岸、美濃市曽代を北進してきて、此処白山神社の前で右岸に渡っている。更に古道は現在の白山神社の山に向って登っている。白山神社登拝道の喉口であった。洲原神社とともに僧泰澄の奉斎になる神社である。古くは立花全域がこの白山神社の神領であった。上有知城主佐藤才次郎以徳は特に当社への信仰が篤く、神社前の渡船の賃金を洲原神社参詣人に限り、十二文と定め、その収益にて社頭の経営にあてられた。更に境内地を献進した。後、尾州領となったが、渡船賃については従来通りであった。明治維新に到り、社領および渡船賃は没収された。明治6年村社に列し、祭典その他の行事等は洲原神社に同じである。戦後は昭和21年10月宗教法人令により宗教法人になり、昭和27年6月には宗教法人法により宗教法人となる。 |
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