白山神社
(はくさんじんじゃ) |
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摂末社祭神 |
伊邪那岐命(い゛さなぎのみこと) | 伊邪那美命(いざなみのみこと) |
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地図
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住所 |
〒509-4545 岐阜県飛騨市宮川町打保700番地 |
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由緒由来 |
創祀未詳なれども、飛騨國吉城郡坂下村大字打保(旧小鷹利郷打保村)開拓の祖神を祭れる旧社なるも、年代不詳口碑に養老年間泰澄大師白山開山の際山頂より数条の金光燦爛として東方飛騨を照らし、美譚必ず神異を遺せり。然して泰澄大師越より飛騨に入るに際し、文導寺峠(坂下村より坂上村に通ずる間にて旧小鷹利郷三川原村)より打保村に至る山頂に於て白山大神の神威を感じ、庶民救済のため一宇を建て、山路困難なる行客の旅館に充てたり。然して白山神社を鎮守として奉斎せり。これ文導寺峠の名の起因する所なり。年代を経るに従ひ行客廣済の文導寺荒廃したるためその鎮守の白山神社を当地開拓の祖神を祭れる旧社に合併し祭りたるに因り、終に社名を白山神社と敬称せり。因みに文導寺荒廃し、後本尊薬師如来を当村の字上野に移し、天台修験者此を守り、白山神社の別当を勤めたりと云ふ。戦国時代となり、元亀天正の頃飛騨の豪族塩屋筑前守秋貞城砦を対岸の山上に築き、当村と相対して朝夕尊敬し、櫓を当社背後の山に構へ神威により武威を四隣に振へり。後天正十一年金森五郎八養子喜三可重飛騨討入の際当社付近に屯営し、平定の後深く尊敬せり。今に至るも薙刀尾、城が外、障子畑、漆の本その他地名を遺し、その俤を遺す。元禄検地除地二反七畝二歩を付く。 |
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