田代神社
(たしろじんじゃ) |
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主祭神 |
別雷命(わけいかづちのみこと) | 武甕槌命(たけみかづちのみこと) | 経津主命(ふつぬしのみこと) | 天児屋根命(あめのこやねのみこと) | 姫神(ひめがみ) | 家津御子神(けつみこのかみ) | 速玉男神(はやたまのおのかみ) | 熊野久須美命(くまのくすみのみこと) | 建御名方神(たけみなかたのかみ) | 応神天皇(おうじんてんのう) | 猿田毘古神(さだびこのかみ) |
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地図
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住所 |
〒503-1314 岐阜県養老郡養老町高田259番地の1 |
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由緒由来 |
田代神社は、加茂神社・春日神社・熊野神社・諏訪神社・八幡神社・白髭神社の六社を奉斎、創建年月不詳なるも今を去る1000年以上の古社にして、美濃国神名帳所載の多藝郡16社の中「國津明神」が即ち当社の古名とも云う。六條天皇の頃、清和源氏の後胤多田頼成が嶋田村に移住し、御田代(神田)の備わる当社を深く崇敬して「田代冠者頼成」と名乗り、世人当社を「田代神社」と称するに至ったと云う。古宮の地はしばしば洪水の被害に悩まされたので、慶長6年12月26日、神明神社古来鎮座の北浦の地へ遷座、同年領主徳永石見守壽昌が社領を寄進、以後人家も続々移住して高田の町並の基礎を作った。寛永18年、承應2年、寛文10年の三度、本殿を造替、祭礼奉納の大太鼓・どじょう踊りは年々盛大に執り行われた。安永年間伊勢の御師世古淨太夫が当社の相殿に伊雑宮(天照大神)を奉斎、御鍬神社と称して農民の崇敬厚く今日に至る。明治5年郷社に列せられた。昭和61年、本殿・幣殿・拝殿その他の社殿工作物を、慶長の御遷宮以来の大造営として竣工、同年8月28日に本殿遷座祭を、9月13日に御遷座三百八十五年記念大祭並びに御造営竣工奉祝祭を挙行した。摂社神明神社は天照大神を奉斎、創建年月不詳なるも古来当地に鎮座、慶長六年以降は田代神社の地主の神として重んぜられた。慶長元年、社僧行透が社傍に大善院を創建、神明神社の宮寺とした。寺号はその後壽命院、壽量院と変遷したが、明治維新の神仏分離令により廃寺となり、本尊の薬師如来は即心寺へ遷座、昭和57年、社殿を造替して遷宮式を執行した。 |
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