楢尾神明神社
(ならおしんめいじんじゃ) |
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主祭神 |
天照皇大御神(あまてらすすめおおみかみ) | 伊邪那岐命(いざなぎのみこと) | 伊邪那美命(いざなみのみこと) | 菊理姫命(くくりひめのみこと) |
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摂末社祭神 |
応神天皇(おうじんてんのう) | 八衢彦大神(やちまたひこのおおかみ) | 八衢姫大神(やちまたひめのおおかみ) | 久那土大神(くなどのおおかみ) | 倉稲魂大神(うかのみたまのおおかみ) | 建速須佐之男大神(たけはやすさのおのおおかみ) |
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地図
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住所 |
〒509-2505 岐阜県下呂市萩原町古関字楢尾1553番地 |
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由緒由来 |
当社の創建は棟札によると「永禄六年十一月十六日、新建立本願人、森清左衛門」とある。
この地は楢尾山の中腹にあって、戦国時代郡上郡馬瀬郷に行く国境の要害地にあたるため、見張城として楢尾城(甘草城)の砦があり、また、山麓には日和田峠口の関所があった。この地を跡津村「古関」といった。里伝に、当社創建の森氏は三木氏の家臣で、楢尾城の見張人であり関守も兼ねていたが、後世三家に分立したといわれている。
古関には古来「七尾七迫七明神」といわれた無格社があり、明治維新に当社のみ村社に列して、「跡津村三社」の一つとなった。
明治四年現拝殿舞台を、同六年本殿(馬瀬村堀之内九頭龍神社に移築)を、同三十二年幣殿をそれぞれ新築し、同四十年に区内無格社九社を合併合祀した。
昭和十七年皇紀二千六百年記念事業として、神宮別宮形式による本殿・祝詞舎・瑞垣を新築し、社名に「楢尾」を冠して現社名に改称した。同四十五年に新築、昭和五十五年、鈴蘭高原鎮座の朝日大神宮拝殿を参考に新築し、立礼式の祭典を行っている。参道は整備され神宮の景観を思わせるまでになった。
新嘗祭に合わせて、国吉神社の例祭を行っている。
摂末社:国吉神社(広瀬清七郎大人命、大原騒動犠牲者)
氏子出身靖国の神霊 |
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