柯柄八幡神社
(えがらはちまんじんじゃ) |
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主祭神 |
応神天皇(おうじんてんのう) | 伊弉諾尊(いざなぎのみこと) | 伊弉冉尊(いざなみのみこと) | 菅原道真(すがわらみちざね) |
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摂末社祭神 |
柯柄稲荷神社(えがらいなるじんじゃ) | 白峯神社(しらみねじんじゃ) | 津島神社(つしまじんじゃ) |
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地図
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住所 |
〒509-1622 岐阜県下呂市金山町金山字神戸平2490番地 |
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由緒由来 |
当神社は延喜年間(901)に金山村の中宮の地に氏神として、八幡社が勧請されたものと伝えられています。応永18年(1411)、反乱を起こした飛騨国司姉小路伊綱を誅伐せんと、将軍足利義持の命を受けた源高員が諸勢を催して金山村を通りかかった折、濃飛の国境である当村で一泊されたそうであります。その時、高員が「当村の氏神如何。」と尋ねられるので、里長が「八幡宮なり。」と答えると高員は「八幡宮は、当家源氏累代の御守身なり。」とお喜びになりました。そして怨敵退散のため氏神である鎌倉荏柄天神を勧請し戦勝を祈願されたうえで、飛騨の国に入国されました。目出度く伊綱を誅伐、御帰陣の折、御滞留され、感謝の奉告を催して別当(宮司)里長に御褒賞を与えられました。以降、荏柄八幡宮と称え、八幡大神・白山大神・荏柄天神と3社を御守神とし、9月15日八幡祭、2月25日を天神祭として毎年精進されたいと願われて鎌倉に帰られました。翌年2月には梅桜二株の寄進を受け、御神木として崇め奉られてきました。この後、鎌倉荏柄天神の分霊を八幡社に合祀し、社殿を改築して柯柄八幡宮と改めました。明治の初年に柯柄八幡神社と改められました。
文化財等 八幡神社社叢(下呂市文化財指定)天然記念物 |
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