明白神社
(あけしろじんじゃ) |
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主祭神 |
伊邪那岐命(いざなみのみこと) | 伊邪那美命(いざなぎのみこと) | 菊理姫命(くくりひめのみこと) | 倉稲魂命(うかのみたまのみこと) | 建速須佐男命(たけはやすさのおのみこと) | 火具土神(かぐつちのかみ) |
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摂末社祭神 |
大山祇神(おおやまつみのかみ) | 氏子出身靖国の神霊(うじこしゅっしんやすくにのしんれい) |
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地図
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住所 |
〒509-2508 岐阜県下呂市萩原町尾崎字四美辻941番地の1 |
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由緒由来 |
当社の創建年代は不詳である。当社の前を通っている古代官道は、飛騨支路の上留(上呂)駅から旧浅水橋を渡り、当社の御旅所の前を通って位山街道(飛騨匠の道)の入口迄至る。按ずるに、当社は、現永養寺が改宗前の天台宗ごろの鎮座神か、あるいは棟札に記載されている、貞享二年に今井氏三家による創建と考えられる。元禄検地にも除地の記載がない。
棟札に貞享二年の鎮座以来、享保、明和、寛政、文政、明治等にわたり、再建の記載がみえている。
明治維新に村社に列格し、明治二十九年現鳥居付近より現地に移転の上、神明造拝殿を新築した。同四十一年に四美辻白山宮、下村神明宮、船渡神明宮の三社と蕨野天満宮、山之神の五社が合併合祀して「明白神社」と改称した。大正二年本殿を新築し、旧本殿(寛政築)を野上阿弥陀堂に譲渡する。昭和十年に現拝殿を新築した。戦後、幣拝殿を増改築し、昭和五十八年本殿を新築し、全社殿を流造りに統一した。同年、川西部会九社を招請して大祭を執行した。
境内社「明白天満宮」は、『飛騨国神名記』に記載されている。昭和五十八年本殿新築に伴い旧本殿を移築し境内社となる。毎年八月に、中学生の奉仕と子供会全員の参列によって例祭が行われている。
「明白獅子」は昭和十四年の例祭に奉納されて以降、毎年青少年によって奉納されている。昭和五十三年に町無形民俗文化財の指定を受け、平成五年に伊勢神宮式年遷宮奉祝祭に奉納した。 |
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