手力雄神社 (たぢからをじんじゃ)
通称     
てじからさま
手力様
主祭神  
      天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)
摂末社祭神     
地図 map
住所        
〒500-8233 岐阜県岐阜市蔵前6丁目8番22号
由緒由来  
貞観二年九月十四日(陽暦十月六日)鎮座。正一位。本社創立は貞観二年九月十四日(陽暦十月六日…三正綜覧)と社伝す。旧記に美濃國厚見郡長森郷石永山手力雄大明神の義は清和天皇貞観二年九月十四日御勧請云々。慶長五年関ヶ原役の際、旧記古文書も灰燼となり、古き由緒を詳にせざれども、美濃國神明帳に載する所の厚見郡諸ェ社の中なる従五位下手力雄明神は当社なり。新撰美濃志序Z之巻厚見郡蔵前村の条。手力雄明神は近代正一位を進む。美濃神名記に厚見郡従五位下手力雄明神とあるは此社なるべし。近隣十余ヶ村の産土神なり。例祭九月十四日花火を興行す。遠近の諸人見物に来る比類なき壮観なり。本社の所斎の字名を比奈と称し、本社が延喜式所載する所の厚見郡三座の中の比奈守神なりと云ふ。美濃雑事記、比奈守神社、延喜式内厚見郡長森に在り。加納より高田新加納の間にあり。今手力雄神社と云ふ。明治四年五月郷社に列す。第一大区第十三小区…手力雄神社、領下村、細畑村、前一色村、岩地村、水海道村、左兵衛新田、野一色村、北一色村、日野村、岩戸村、日野新田、切通村、蔵前村、高田村、芋島村、東中島村。棟札。元和二年九月社頭一宇、元和六年弊殿、同九年拝殿再建、寛文十二年本殿再営、元禄元年葺替、宝永三年七月、享保六年五月、元文五年寛保元年、元禄三年、延享四年、天保九年天保十五年。宝永頃の社地は僅かに一町三反十六歩余のみ。
祭礼情報  
手力の火祭り、秋の例祭(てじからのひまつり、秋の例祭)
4月第2土曜、10月22日