富岡神社
(とみおかじんじゃ) |
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摂末社祭神 |
八幡大神(やわたおおかみ) | 春日大神(かすがおおかみ) |
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地図
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住所 |
〒509-4423 岐阜県飛騨市宮川町林256番地 |
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由緒由来 |
社伝によれば平安朝以前創祀。古来開闢の祖神を奉祀せる産土神なり。仁壽年間京都加茂辺りの人飄然当村に隠遁寓居す。雅号富岡隠士と自称せし人あり。草庵を社地(現存字宮ノ尾)近くに求め、特に氏神の信仰篤く、祠を造替するに祭し庵に奉安せし天照皇大神の神璽を該社に合祀し、里人と斉しく崇仰す。富岡某或夜夢に二霊顕れ給ひ、我は今漂流して川の岸に留まると見る。翌朝に至り昨夜の夢奇なりと思ひ、歩行捜索するにあにはからんや当組字池の川原と云ふ所に八幡大神春日大神の社殿留まり給へり。其れより天照皇大神と合殿に齋祀り、三社明神と称へ村民挙って崇敬し累年今に至るまで当村は古来東忍村と称し元禄年度此の村を割て五村に分割(現在大字林、大字岸奥、大字野首、大字牧戸、大字丸山)す。土地肥沃近邑最大の耕地を擁すと雖も、灌漑の利便悪く、水田少なく上がり田多し。富岡の起源蓋し此処にあらむ。鎮座地字宮ノ尾は邑の中央に勃然として隆起せる丘阜なり。一度鍬を振るへば各種の石器続出す。享保年間飛騨國代官長谷川忠崇著書には三社宮、小島郷林村にあり。云々。又元禄七年九月大垣藩主戸田采女正検地の節御水帳に三社代権現宮地一反三畝十三歩郷中抱除地仰せ付けらる。明治三十四年四月九日神明神社を富岡神社と改称。明治三十四年五月覆殿改築間口三間奥行四間。明治四十年十二月本村大字丸山字野村社神明神社を合併す。 |
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