子守神社
(こまもりじんじゃ) |
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主祭神 |
天之水分大神(あめのみくまりおおかみ) | 国之水分大神(くにのみくまりのおおかみ) |
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摂末社祭神 |
伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ) | 伊邪那美大神(いざなみのおおかみ) | 木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと) |
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地図
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住所 |
〒509-0202 岐阜県可児市中恵土2259番地の1 |
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由緒由来 |
創建年代は、詳しくは解らないけれど神社明細帳によれば、保元元年(紀元1815)の頃、和泉の守源内兵衞重義と言う人この地に来たり住み、神社を再建して御神徳に欲す。次いで源三位頼正公美濃国を領地と成した時、この地に移りて、神威を畏み、神領地として100余町歩を下し給ひしとある。然し現在はこれだけの神領地は無い。その後一般の人々の崇敬も篤く、殊に子供の守護神として「子授け」「安産」「子育て」等の神慮誠にあらたかであるとされ、子供の無い人は子授けを、お産有るときは安産を、子供が生まれたときには無事成長を祈る人々が多い。明治44年5月郷社として指定されたが、戦後は神社本庁に所属する宗教法人として、旧県社格の金幣社に指定され現在に至って居ります。例祭は毎年3月28日に執り行なわれ各地より老若男女を問わず、特に春休みとも重なり子供達の参拝も多く、広い境内も参道も参詣者で溢れんばかりの盛況であります。保元元年の頃和泉守源内兵衛重義、職を引き此の地に来り住む。神社を再建して新得に浴す。其後遠近より子供の守り神として賽者多く、源三位頼政公美濃國を領地となしたりし時此の地に来り、神威を畏み、神地として百余町を下し給ひしとなり。 |
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