天神神社 (てんじんじんじゃ)
通称     
やないづてんじん
柳津天神
主祭神  
      菅原道真(すがわらみちざね)
摂末社祭神     
地図 map
住所        
〒501-6112 岐阜県岐阜市柳津町北塚2丁目26の1
由緒由来  
人皇第五十六代清和天皇御子眞純親王の後裔源頼上唐音通間自由にして天文十年大明国より来朝せし眞羅軒と問答し、将軍義輝公の感に入り、美濃守に叙せられたる外典博学者なり。其の子頼郷将軍義昭公に属し、永禄十一年江州観音城を攻落し勇戦を抽て終に討死せり。一子幼名二郎即ち神社創立者根村次郎左ェ門源頼實幼少につき母方北条氏康引取り養育し、成長の後北条氏を継がしめんと欲す。之に依りて頼實北条家を退出し、亡父の家名を継て浪士となり、諸国武者修行に出て此の地に移る。後加州土戸田越後守に入て武道を授け、帰国の砌同家の什宝なる広東雲南等異国に出づる深水香木長さ二尺一寸五分回り一尺三寸重さ九斤余を所望し、持参頼實は常に道真公の学徳共に抜群なる人として、詩人として天満天神として祀られた偉人として且清和、陽成、光孝、宇多、醍醐の五朝に歴事し無二の忠臣として我国史の上に輝く菅公の為人と崇高純真なる精神を恭敬礼拝し、信仰厚きを以て道真公薨去の延喜三年二月二十五日を追慕し、沈水香木にて菅神の像六体人皇第百五代後奈良天皇御宇弘治三年二月彫刻霊代となし、同年同月二十五日六社を建立祭祀せし内の神社にして、爾来本村創立の神と称し、崇敬最も厚き神社なり。祭典は毎年二月二十五日執行せしも、文化九年に八月二十五日に改め、その後明治四十四年に十月二十五日に変更せり。六社建立当時は恰も戦国時代加ふるに後年洪水の惨害を被ふること屡々なりしため、不幸にして霊代社殿を流失し、遂に其の所在を悉く知るに由なきも、最も信憑すべき口碑に依れば、在昔洪水の際羽島郡足近村大字直道字中島宮前に霊代並びに社殿漂着遂に止まりて動かず、之有縁地ならんとて、同村民は新たに一社を建立祭祀し、爾来崇敬厚き村社北野神社之即ち右六社の内の一社なり。而して其の流失は天明年間以前なりと云ふ。昭和二十年十一月三日字一色池田107村社穴太郎天神神社、字中宮東1027中天神社を合併。
祭礼情報  
10月25日