| 大津神社
				(おおつじんじゃ) |  
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                		| 摂末社祭神      |  
              			|       建南方富命(たけみなかたとみのみこと) |  |       武渟河別命(たけぬなかわわけのみとこ) |                			
            			 
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				    地図
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                		| 住所         |  
                		| 〒506-1161 岐阜県飛騨市神岡町船津1823番地の2 |  
              			
            			 
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				| 由緒由来   |  
				| 創祀未詳。国史見在社。飛騨國八社の一。傍らに大津山宗慶寺と号す所謂天台宗なりと云ひ伝へる別当職あり。往古氏子八十余戸御社南面に崇め、北三丁隔地、高原川の水岸近く、家居して大津と謂ふ。然るに時々水災あるを愁たみ家居を今の地に移す。その頃往還通橋を流損すること再三なる故に船を造りて渡を求むるに人皆不図船津と化唱す。大津敷座す地は古今に大津と確唱す。中昔殿村諏訪城主江馬家代々尊敬の御社にして十四代左京之進平時経、二男重種を以て大津の地に居館を建て住す。改姓して大島近輔平重種と称す。此地理高原川と山田川の二流を合す州崎の島形なるを以て大島と改むか。大神を厚く信敬して社殿を造営あり。江馬、大島両家より奉納の神宝産子貯せしを文化十一年八月二十二日市中大火の節焼失す。天正十年、江馬・大島両家没落の後神社造営不行き届き、宗慶寺廃絶す。文化年中信州の小県郡西条村関沢築後守藤原頼美当社の大宮司奉仕。文化十四年二月四日頼美上京して神祇官領に願い出禁裏に奏上あれば官弊御告文勅許。正二位。明治五年筑摩縣下十九区の郷社。同八年当区四十九ヶ村合併し神岡村と改正す。明治二十八年社殿境内社焼失明治三十年四月一日現在地に移転。昭和五年縣社に列す。 |  
              			
				 
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