十五社神社
(じゅうごしゃじんじゃ) |
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主祭神 |
天之常立尊(あめのとこたちのみこと) | 国常立尊(くにのとこたちのみこと) | 国狭槌尊(くにのさづちのみこと) | 豊斟渟尊(とよくむぬのみこと) | 塗比土煮尊(ういじにのみこと) | 沙土煮尊(すいじにのみこと) | 大戸道尊(おおとのべのみこと) | 大苫辺尊(おおとまべのみこと) | 面足尊(おもだるのみこと) | 惶根尊(かしこねのみこと) | 伊弉諾尊(いざなぎのみこと) | 伊弉册尊(いざなみのみこと) | 天照皇大神(あまてらすすめおおかみ) | 天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと) | 瓊瓊杵尊(ににぎのみこと) | 彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと) | 鵜草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと) | 神日本磐余彦尊(かんやまといわれひこのみこと) | 若帯彦尊(わかたらしひこのみこと) | 応神天皇(おうじんてんのう) |
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摂末社祭神 |
須佐之男命(すさのおのみこと) | 事代主命(ことしろぬしのみこと) | 手力男命(たぢからおのみこと) | 豊受姫命(とようけびめのみこと) | 菅原道真公(すがわらみちざねこう) |
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地図
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住所 |
〒501-2101 岐阜県山県市大桑2281番地 |
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由緒由来 |
当社は淳和天皇の御世、天長3丙午年晴天俄に雲起り寒気極寒の如し、雷名天に響地震降雹頻りにして卿人奇異の相天道に祈り奉る翌朝宮山の山頂唐松に厳として聲あり、吾者是天之常立神、国常立神、国狭槌神、豊斟諄神、泥土煮神、沙土煮神、大戸之道神、大苫辺神、面足神、惶根神、伊邪諾神、伊邪冊神、天照皇大神、天忍穂耳神、瓊々杵神、彦火々出見神、鵜草葺不合神なり吾此地に現れしは広く国内を守護せぬが為なり、汝里人此の麓に神を祀り崇むべしと告げ紫の雲と共に天に昇り給ふ、里人急ぎ天朝に達し美濃権守春原朝臣五百技をして社を建て9月19日、天神大明神と稱奉る、復此の地方に大和民族と、弓月君の子孫秦氏と姓氏の争在り、盟神探湯を行ふ是より栽主大明神と稱奉る、即ち国内社正四位栽主明神は当社なり、当社の崇敬厚く新羅三郎義光の八代の孫逸見又三郎重氏承久の乱に大井川を渡り其の勲功により、後鳥羽上皇より大桑郷を賜り当地を治するや、当社を崇敬し、又美濃土岐頼芸大桑城に移るや当社を崇敬し本殿を改築し、石清水八幡宮を勧請し相殿合祀し十五社大権現と改稱し、加藤興三右衛門尉袮宜に置き土岐氏の氏神として崇敬せり、江戸時代に至り元禄14辛巳年徳川五代将軍綱吉公、社殿造営係に代官辻六郎右ヱ門守参を任命し本殿を改築、社地除地となり幕末の頃公家岩倉卿度々社参あり、文化9壬申9月19日従三位岩倉具選勅許を得、十五社大神宮と改め皇室の安泰を祈請せられた、明治維新大政官布告により神社と改めた、明治5年11月村社に列し、昭和19年8月1日郷社に昇格し昭和54年3月20日金弊社に指定せられた。
特殊神事、湯立神事…大釜で熱湯を沸かし、祈祷し、齋笹で参拝者を振祓う。文化財等、御本殿、元禄14年造営、(市指定重要文化財)狛犬、天文9年(1540)土岐氏奉納、(市指定重要文化財、逸見杉、樹齢780年目通り5.3?(市指定天然記念物) |
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