北方神社 (きたがたじんじゃ)
通称     
主祭神  
      大物主神(おおものぬしのかみ)
      事代主命(ことしろぬしのかみ)
摂末社祭神     
      天照皇大神(あまてらすおおかみ)
      応神天皇(おうじんてんのう)
      豊受大神(とようけおおかみ)
      仁徳天皇(にんとくてんのう)
      伊邪那美神(いざなみのかみ)
      水波売神(みずはのめのかみ)
      倉稲魂神(うかのみたまのかみ)
      菅原道真(すがわらみちざね)
地図 map
住所        
〒501-0601 岐阜県揖斐郡揖斐川町北方1427番地
由緒由来  
上代此の地は三輪氏が主格者として治めていた。其の頃、天照大神を桂山に祀って中心とし、大国御魂を神山(三輪神社)に、大己貴神を倭山(大和神社)に、大己貴神御子事代主命を栗生山(北方神社)に祀っていた。(美濃国神名帳天文19年に記されている従五位下神三御子明神が北方神社である)其の後東大寺領となり揖斐郷と言われる頃、神三御子明神の脇社として八幡宮、本尊盧舎那仏、伊勢大神宮を祀るようになった。平安時代になると、三輪氏の力衰え、代って藤原氏が栄え、その荘園となるや春日神社を相殿として祀り、神三御子社の名は春日神社と呼ばれるようになり、祭事も「ねそねそ祭り」が行なわれるようになった。その後戦乱により焼失、再建を繰り返し、明治44年2月17日各社を合祀した。本社は其の創建極めて古く、大已貴命の第三王子事代主命を祀り、由緒顕著なり。美濃神明帳に国内三百八十三座の内大野郡鎮座神三御子明神是本社なり。伝教大師尊崇の社なり。明応の頃土岐厄衛門尉成頼本村城山に居城し崇敬厚し。建武延元の頃吉田休三入道亦崇敬厚し。近世岡田家累代崇敬厚し。二月十五日祈年祭に能楽奉納し「おこなひのみや」祭事を「ねそねそ祭」と称し近郷崇敬の神社なり。
文化財等、北方神社社叢(町指定)、北方おどり、ねそねそおどり
祭礼情報  
春季例祭、秋季例祭(しゅんきれいさい、しゅうきれいさい)
4月第3日曜日、8月15日