八幡神社
(はちまんじんじゃ) |
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主祭神 |
応神天皇(おうじんてんのう) | 崇神天皇(すじんてんのう) |
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摂末社祭神 |
天照大御神(あまてらすおおみかみ) | 豊受大御神(とようけおおみかみ) | 菅原道真(すがわらみちざね) | 須佐之男命(すさのおのみこと) | 軻遇槌神(かぐつちのかみ) |
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地図
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住所 |
〒509-0224 岐阜県可児市久々利1017番地 |
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由緒由来 |
創祀未詳なれども、御輿の内に弘安五年五月、本願比久尼蓮意趣者先年子息甚太郎当病平癒立願也と記す。亦延文元年十一月三日再興、願主沙弥道円と記せり。濃陽志略に八幡祠放生寺之を掌る。天正自由三年二月二十日図録古記焼失と記せり。実にこの時古記焼失しけん。幸いに御輿は社内にあらざるを以て火災を免れたるものなるべし。現今社内には天正四年九月二十三日再建願主河村奈々左ェ門尉。山村甚兵衛本願。金刀○昌寺記せし棟札あり。社地の旧字を佐渡と云ふは美濃明細記にも載せたる神社なり。古来より社領もありしよしにて、慶長十一年八月五日大久保岩見守巡検使並びに鈴木左馬助和田河守平岡因幡守藏入所検地の砌全山役所より社領の儀に付呼び出しの古状あり。古くより岩見検除地と云し田畑二反五畝五歩の社領あり。別に慶長十九年十二月二日千村平右ェ門より旧社領なる由を聞き、田一反歩寄進せり。全証書あり。社領田畑総計高八石五合余あり。尚外に毎年地頭より正米二石四斗祭礼料を渡しき。今は社頭祭礼料米等少々 |
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