八幡神社
(はちまんじんじゃ) |
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主祭神 |
応神天皇(おうじんてんのう) | 神功皇后(じんぐうこうごう) |
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地図
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住所 |
〒501-6232 岐阜県羽島市竹鼻町狐穴1316番地 |
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由緒由来 |
元亀二年十一月創祀。戦国時代織田信長公は余暇に清洲より二、三人の鷹匠を伴ひ鷹狩の為に屡々当地に出道した。この頃狐穴村に道家祖看と称する地方の豪族ありて微行せん信長と頗る懇親の交わりを結び、同邸に度々宿泊するを楽しみとせり。其の来泊中織田信長公に対し畏くも正親天皇より密勅を奉じて勤王家侍従立ち入り宗継郷下向ありたれば、信長は祖看邸にて沐浴斎戒して応接したり。再来信長は雄名を挙げ永禄十一年九月勅旨を奉じて京都に攻め上り、元亀二年十一月に人御料米を奉献して京都町々迄糧食の貸付して君恩を感謝した。此の時道家祖看は信長の懇請を受け、村民と相計り邸の東北なる丘上の霊域に滋賀県多賀明神を分祀し、白山と称奉祀したり。然る所天正十四年木曽川の洪水は村内外荒廃せしめ死傷者多く、又本殿も転々漂流したれば、村民は今の地に鎮座する事となり狐穴村人尾張國より美濃國へ編入せらるるに至った。爾来村民及近郷人々尊信厚く、年々祭典を厳修す。八幡神社、鎌倉時代は当地住民少なくして葺生原野池沼のみなりしが、源頼朝幕府を開き八幡太郎義家の故事を以て八幡大明神を祀る旨当村にも布令ありたれば、村民は鎌倉八幡宮を分霊し、字天熊の清浄なる土地を以て創立したるものなり。然る所天正年間秀吉時代屡々の水災は境内を池と化し社殿も亦漂流し、今の地に漂着したまま参拝することとなり、藩主も親拝し、尊信篤かりし由古記録文献に見ゆ。 |
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