八幡神社
(はちまんじんじゃ) |
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摂末社祭神 |
神功皇后(じんぐうこうごう) | 武内宿禰命(たけのうちのすくね) |
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地図
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住所 |
〒502-0914 岐阜県岐阜市菅生3丁目5番2号 |
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由緒由来 |
応和二年創祀。村上天皇応和二年国主美濃権守多田満仲勧請なり。相続て美濃守頼光美濃守頼信当国主たるに依り、崇敬あり。永承六年伊予守頼義安部一族を征討の為発向の時当社に祈願あり。後承暦三年八月陸奥守義家此の地に至りて当社を拝す。又、応保元年三位頼政当郡市橋村庄乙津村(今称鏡島村)に来り住居す。同二年六月当社奉弊し、社地に於いて箭竹を伐採す。(其の古蹟現地に存せり)其頃迄は社地広大にして大門通り一の鳥居は東軍六条村(当社より二十余町を距る)に在り其の鳥居の朽木今に存せりと云ふ。又土岐氏累世当國の守護職とす。依りて当社崇敬篤し。元亀年中に至り、織田氏の所轄の時神領些少になれりと云ふ。又天正十六年七月岐阜城主池田輝政同十八年秋三好少将秀俊より灯明料として地二百貫の地を寄付あり。その他時の武将より寄付状数々あり。明治六年一月菅生村、中島村、西島村、旦島村、江口村、北島村、近島村、東島村、萱場村、池之上村、早田村、古津村以上十二村第八区郷社と定めらる。昭和九年六月十五日無格社秋葉神社境内神社に合併す。 |
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