八剱神社
(やつるぎじんじゃ) |
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地図
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住所 |
〒501-6321 岐阜県羽島市桑原町八神4665 |
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由緒由来 |
斉衡二年八月十七日創祀。当社は延喜式神明帳尾張國中島郡(三十座の内)石刀神社及尾張國神明帳中島郡石門神社は当社なり。則ち本証にも尾張國中島郡式内三十座の内石刀神社國張に云石門天神社今在石田村云々。(中島郡に石刀村なしこれは石田村の事ならん。登と手は國音相近ければなり而して勧請は斉衡二年八月十七日鎮座なり。故に今に至るまで毎年八月十七日を以て例祭日とす。当時の地名は尾張國中島郡石田村と称し、石田村は古(石津郡に属すとも云へり。松葉集に石田里は尾張の名所とし、(和爾雅又同説なり)夫木集に石田里文応元年七社百貢に為家が詠歌にも岩田里又同抄宝治二年一白盲光俊が詠歌にも石田とあり、又尾張國眞秘寺の古証文に延徳元年十二月云々石田郷毛利掃頭助実忠と見ゆ船田後記に明応五年夏四月云々九日次于堀津石田出際と記る旧地なり。又現今の堤防築造前後より桑原輪中桑原荘と称すと云ふ。承応二年八月旧地頭毛利源之稲荷神社を転店せられしより、村名を今の八神村と改称したり。該社石刀神社の訳は距今百九十七年前、即ち天和三年旧地頭毛利廣尚より社頭再建せられし棟札面にも明記あり。承応二年八月八神村庄屋伊右ェ門外二十八人の者より名古屋藩へ呈出したる書に当村氏神八劔宮の義光年御改相済居候通斉衡二年八月十七日御鎮座云々又当村名古屋藩より相渡候書取の内に願之趣相改候処申立之通八劔宮の儀は斉衡度其村鎮座に相違無之云々承応二年八月寺社奉行所印とありて、八神村崇敬の村社なり。又斉衡度鎮座の事疑なし。元禄十四年中頗る洪水氾濫し、神社宮殿破壊したるが故に同年十二月神徒即氏子中より修繕その後寛保三年七月二十二日美濃國中島郡三十町野村も帰依を表す即ち氏子とす。昭和六年七月十日郷社に列す。 |
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