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八幡神社
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創立月日不詳 古来村今村産土神社として崇敬されている。普通村社、八幡神社である。棟札によると一般的に村役の成立が寛文・延宝期とされているが、今村では寛永20年(1643)に「庄屋」「年寄」がいたとされ、村の様相を具体的に知ることができる棟札がある。
特殊神事 子供ササ舞・・・・・・・・・・ |
509-0246 岐阜県可児市今字北屋敷61番地 |
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可児支部 617 |
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八幡神社
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創祀未詳。里伝に曰く、従来の村社にして往古は姫郷五ヶ村の産土神なり。中古にして別れて今唯本村のみの村社なり。昭和五年十二月二十日境内社白山神社、神明神社を合併す。・・・・・・・・・・ |
509-0245 岐阜県可児市下切字古入795番地の1 |
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可児支部 616 |
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八幡神社
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創祀未詳なれども、享保十五年六月二日再建の棟札あり。当村には中古土岐頼貞の三男三郎光直居城せし旨濃州主志略に見えたり。鎌倉幕府以来源氏の住所八幡宮を祀らざるなきに至れり。因りて当村にも八幡を祀りしものか。又考ふるに当神社のある組を入れ組と云へり。八坂入彦命に御縁由ある神社ならんか。当村には八剱神社も・・・・・・・・・・ |
509-0222 岐阜県可児市羽崎字大洞1046番地の1 |
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可児支部 597 |
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五社神社
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旧名正六位上大縣明神。当國神名帳に載せられたる多芸郡十六社の一なり。美濃明細記に「縣明神は多芸郡宇田邑にあり。正六位上大縣大明神境内六段余領主より除地云々」とあり。御祭神は往古の当地の縣主を祀れるなるべし。後世三島神社以下四社を加へて五社神社と称す。何れも勧請年月不詳。宝暦九年十月惣百姓連印を以て旧・・・・・・・・・・ |
503-1335 岐阜県養老郡養老町宇田1026番地の1 |
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養老上石津支部 3191 |
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八幡神社
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創祀不詳。明治四十二年六月字西出無格社白髭神社、同境内社御鍬神社、同字無格社神明神社、字上光寺無格社白山神社を合併す。・・・・・・・・・・ |
501-0423 岐阜県本巣郡北方町芝原東町字上光寺56番地 |
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本巣郡支部 2768 |
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八幡神社
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創立年月日不詳なるも遠き昔より部落住民の崇敬厚く、文政九年五月二十一日境界論の際にも宮代村の御料社領にして天保十年二月十一日再建せられ、明治三十五年五月十六日拝殿失火により再び再建なし、依然部落住民の信仰厚し。・・・・・・・・・・ |
503-2124 岐阜県不破郡垂井町宮代字境野1408番地の1 |
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不破郡支部 2570 |
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八幡神社
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当社の創立年月日は不詳なり。江戸時代の初期1634年(寛永十一年)には倉知字北屋敷288番地の1に鎮座されており、山崎、赤渕部落の守護神として毎年九月一日を祭日として古式に従い太鼓笛で行列して祭祀を行う社なり。・・・・・・・・・・ |
501-3936 岐阜県関市倉知字北屋敷288番地の5 |
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関市支部 903 |
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八幡神社
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元禄五年二月時の領主??木貞次の創立したところである。もと当村禪宗(臨済宗妙心寺派)の鎮守であったものを宝暦年中から元松ノ木村の氏神となり、安永年中春日神社を合併した。宝暦十年、寛政十二年、文化九年、それぞれ社殿の修復あり。現社殿は昭和十二年改築せられた。・・・・・・・・・・ |
503-1624 岐阜県大垣市上石津町三ッ里219番地 |
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養老上石津支部 3239 |
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広田神社
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寛文十一年九月創祀古老の口碑に字参宮沢に小社寛文十一年九月洪水の節、山崩流失。字前山三川中に止まるを奉勧請。明治六年再興す。・・・・・・・・・・ |
509-7202 岐阜県恵那市東野字前山2175番地の2 |
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恵那市支部 1570 |
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八幡神社
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当社は寛文五年五月里人安田孫三郎伊勢神宮に至り御師某の斡旋に依り八幡大神を勧請し、安田弥兵衛所有地壱反二畝余を寄付して社地とし、創建す。弥三郎は安田浄通といふ人の孫にて同弥五右衛門の子同通意の従弟なり。その後境内猶狭隘なるに依り同金十郎高淵村川口太郎兵衛の両人各社地を寄付せりとぞ。斯くの如く由緒ある・・・・・・・・・・ |
503-1382 岐阜県養老郡養老町船附字宮辺653番地 |
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養老上石津支部 3204 |
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