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若宮八幡神社
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当神社は中仙道の宿野上の里に鎮座ありて往古より公家武将の参詣多々あり。・・・・・・・・・・ |
503-1532 岐阜県不破郡関ケ原町野上2266番地 |
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不破郡支部 2517 |
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若宮八幡神社
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徳川幕府初期時代今須村字大河内奥宮谷口付近に部落を有する頃之が建立にかかり其の後灰原十郎兵衛なる武人の崇敬するところとなる。今尚同人の馬駈場と称する跡あり。其の後漸時時代の変遷により該大河内奥の部落は他へ転住してより既に百幾十年を経過せりと然れども該神社崇敬者そして氏子は存続し、年々祭事を営みつつあ・・・・・・・・・・ |
503-1543 岐阜県不破郡関ケ原町今須3682番地 |
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不破郡支部 2525 |
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若宮八幡神社
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創祀未詳なれども、延享二年三月十五日修葺の棟札あり。濃州志略若宮八幡祠と見えたる社是なり。社地の儀は総坪数三千三百四十九坪なりしを、明治八年上地に相成り、現在の坪数に減せり。祭典の式たるや、九月五日、御輿市中を戸御、当町六組の者神楽屋形を打ち囃子にて供奉す。・・・・・・・・・・ |
505-0116 岐阜県可児郡御嵩町御嵩1072番地 |
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可児支部 554 |
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若宮八幡神社
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社伝によれば室町幕府時代以前創祀。口碑に曰く往古より彌榮杉とて老木あり。神霊鎮座すとて祭祀せりと伝ふ。元禄七年カチ月検地の砌若宮八幡宮宮地二畝二十七歩除地村抱。・・・・・・・・・・ |
509-4414 岐阜県飛騨市宮川町大無雁字岩野327番地 |
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吉城郡支部 1352 |
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八幡神社
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元和六年創建。大ヶ洞里民今井次良左ェ門忠親の勧請する所なり。同氏は木曽義仲の臣今井兼平長子対馬守貞信の末孫なり。木曽家滅亡の後に貞信宮田村に来住し十代信家三木右京進に仕ふ。天正中十八代信孟に至り、三木家没落して民間に下る。依って竹ノ上に移住し、相続て二十三代忠親に至る。乃ち祖先兼平貞信の守神と崇むる・・・・・・・・・・ |
509-2519 岐阜県下呂市萩原町奥田洞86番地 |
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益田支部 322 |
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中切神社
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当神社は里伝に、仁徳天皇の御代、両面宿儺征討の時にあたり、飛騨國造某が当地に先帝と今上帝の尊例祭日四月三日奉祀して国家の静謐を祈りし時に祠堂を創立して若宮八幡宮と称せり。年代未詳、天正の初め三木氏及び、寛永の末金森家にて社殿の造営あり。古来当区の産土神にて、明治四年九月村社に列す。明治四十二年三月村・・・・・・・・・・ |
506-0043 岐阜県高山市中切町1466番地 |
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高山市支部 1689 |
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白山神社
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創祀未詳。当社は元、大字神野字西谷口に鎮座せしが、山上険阻、参拝に不便なるを以て現在の地に移転し、社殿の設備を完全にし、且移転先境内神社有なるを以て之を善境内地の官有地と交換をなさんことを出願し、昭和三年十一月三十日移転を完了。・・・・・・・・・・ |
501-3203 岐阜県関市神野1417番地の1.1445番地の1.1429番地の3 |
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関市支部 852 |
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若宮八幡神社
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創祀不詳。慶長七年九月再建の棟札あり。・・・・・・・・・・ |
505-0041 岐阜県美濃加茂市太田町字若宮3034番地の1 |
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美濃加茂市支部 2436 |
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若宮八幡神社
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諏訪大明神縁起絵詞によると第72代白河天皇の頃、奥羽の安倍貞任、宗任の反乱を平定し上洛の途にあった源義家、新羅三郎義光、諏訪神社神主大祝為仲が、この地へ至ったとき為仲と義光の家来が博打がもとで争いが起こり死傷者を出した。為仲はその責を負って自刃した。若宮の古墳はこれらの人々を葬ったものとされている。・・・・・・・・・・ |
501-0425 岐阜県本巣郡北方町加茂字若宮188番地 |
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本巣郡支部 2771 |
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若宮神社
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伝へに当社昔上佐波の村社なりしが、文明の頃村方に混乱の事あり、其の○当社の神宝を下佐波村八幡社に遷し、爾来同八幡社一社を以て上佐波村下佐波村の氏神とす。然れども上佐波村の氏子等尚当社を尊崇厚く、明治十二年六月二十日村社に列せらる。・・・・・・・・・・ |
501-6121 岐阜県岐阜市柳津町上佐波7丁目57番地 |
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羽島支部 199 |
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