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金刀比羅神社
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詳細
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明治二年濃州土岐郡多治見村神社書上帳によれば、金刀比羅宮壱社と見えたり。明治以前に讃岐國琴平鎮座の大神を勧請せりと傳へらる。・・・・・・・・・・ |
507-0823 岐阜県多治見市平野町2丁目82番地 |
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多治見支部 1926 |
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金刀比羅神社
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延宝元年創祀。村人議して讃州金刀比羅神社の分霊を迎へ、以て奉祀し、爾来春秋二回祭典を行ひ来れり。その後宝暦年中邑人小木曽喜兵衛なるもの深く神徳を信仰し、本社代表として讃州金比羅神社に参拝すること三十三回に及べり。その都度社下の神土を採り来りて之を本殿の神霊台土に納めたり。明和元年本殿を新たに建立せり・・・・・・・・・・ |
509-7605 岐阜県恵那市山岡町原字大西682番地 |
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恵那市支部 1630 |
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金刀比羅神社
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創祀不詳。由縁不詳。・・・・・・・・・・ |
501-6035 岐阜県羽島郡笠松町円城寺字金刀比羅前234番地 |
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羽島支部 166 |
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金刀比羅神社
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当金刀比羅神社は、香川県仲多度群琴平町に鎮座する、金刀比羅宮より、当時の日比野村恵比寿岩に金刀比羅大神を奉齋されると口碑あり。天保13年可知若狭正藤原重美が、天満大自在天神宮を合祀し、明治の始め社を再営し、神仏分離により日比野村お竜渓(おりうけ)より、木花佐久夜比売命を合祀し、安産の神並に物を生み出・・・・・・・・・・ |
508-0101 岐阜県中津川市苗木字並松4600番地の39 |
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中津川市支部 2233 |
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金刀比羅神社
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創祀不詳なれども、社伝によれば、南宮神社社司職宇都宮右兵衛太夫当社を四国より勧請せりと言ひ伝ふ。・・・・・・・・・・ |
503-2124 岐阜県不破郡垂井町宮代字峯1708番地の1 |
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不破郡支部 2573 |
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金刀比羅神社
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本神社は創建年月日不詳。文政年間当村住人林惣左ェ門西山の中腹に社殿一宇を建立したと棟札に見ゆ。爾来御神徳極めて高く神威顕著にして明治二十八年五月社殿を造替鳥居を建設す。降って昭和三年五月参道を拡張。植樹をなし、社殿を造替したり。神威高く崇敬者多数あり。・・・・・・・・・・ |
509-5202 岐阜県土岐市下石町306番地 |
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土岐支部 2323 |
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金刀比羅神社
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寛永十二年創祀。当社は元摂州尼崎鎮座旧修験道南光院社務し来る所なり。然るに寛永十二年大垣城主戸田氏鉄尼崎に於いて十万石に加増。当地へ国替の際同院儀縁由に依り随従の砌此の神社を引移し、現今の地へ遷座。その後明和六年南光院先代存?本殿等を再興維新の御趣意に付明治三年同院復飾井上水穂と相改め社職となる。・・・・・・・・・・ |
503-0908 岐阜県大垣市西外側町1丁目71番地 |
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大垣市支部 2017 |
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金刀比羅神社
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創建年月及び縁由不詳・・・・・・・・・・ |
503-1315 岐阜県養老郡養老町烏江堤塘ノ内 |
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養老上石津支部 3362 |
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金刀比羅神社
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文久三年彦根藩より譲受せしが、明治三十七年十月火災の為再び讃岐金刀比羅神社の御分霊を勧請す。大正元年十月十八日、時村の惣社たる湯葉神社へ合併せしが、昭和三十七年十月二十五日分祀再建の議成り、上石津村大字下山字久保(当時の氏子三十五戸)の鎮守として同村同大字字赤干(あかぼし)の地に新境内地を建設。社殿・・・・・・・・・・ |
503-1632 岐阜県大垣市上石津町下山3057番地の2 |
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養老上石津支部 3249 |
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金刀比羅神社
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慶長五年九月十五日関ヶ原合戦の際讃岐國領主生駒一政は黒田長政、竹中重門等と共に東軍の最右翼軍として岡山に来り、開戦直前守護神として奉持し来りし琴平神をこの岡山の松に掛け、戦捷を祈念したり。時に住民たちは請うてこの神像を譲り受け祭祀したりしと謂ふ。又慶応年間関ヶ原庄屋古山一入が社殿境等を改造したりと謂・・・・・・・・・・ |
503-1501 岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原字岡山732番地の16 |
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不破郡支部 2506 |
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