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諏訪神社
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勧請年不詳。渡邊信喜式内神社須拝表曰く中山神社加茂郡米田荘市岡猛彦式内老稿旧中山神社或説今米田十ヶ村の惣社下飯田村にあり。山本村に近し。諏訪明神と云(古語桾また下飯田村にあり)明治八年呈記曰く加茂郡米田郷中山鎮座諏訪神社の儀は延喜式神明帳当國内神名帳記載中山神社の趣右は永禄年炎上旧記宝物等焼失すと云・・・・・・・・・・ |
505-0015 岐阜県美濃加茂市下米田町今元入会地5番地 |
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美濃加茂市支部 2423 |
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諏訪神社
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明治七年各務郡神社明細帳第一大区十六小区に記載ある神社にして古くより此の地に奉祀のことは明らかに伺はれる。・・・・・・・・・・ |
501-3142 岐阜県岐阜市諏訪山3丁目4番12号 |
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岐阜市支部 1153 |
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諏訪神社
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創立年代は不祥。古伝によると、戦国時代の永正年間桜洞城主三木直頼の家臣荒井四郎右衛門が、信州の諏訪大神を勧請し、大島村郷石原に祠を建て、守護神としたのが創始である。戸田采女正による元禄検地の際、境内除地3反3畝10歩を付せられた。その後荒井家は衰亡し、正徳元年蔵田五右衛門が、現在地に移し祀ったと伝え・・・・・・・・・・ |
509-3106 岐阜県下呂市小坂町大島2116番地 |
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益田支部 339 |
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諏訪神社
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承平元年藤原伊房公奉斎、旧馬籠村の産土神
馬籠の里に一の御祠を御建立、天照皇大神 諏訪大明神を御奉祀し朝廷の御武運長久を祈られたとあり。また日本武尊御坂街道戦勝にて御通りの 折り御参拝されし神地なりと伝承ありという。
明治五年十一月村社に列す。
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508-0502 岐阜県中津川市馬籠字アラ町5183番地 |
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中津川市支部 3354 |
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諏訪神社
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創祀未詳なれども、寛永五年七月再建。寛永五年七月二十七日再建。元禄三年七月初めて村社となし、稲荷大明神、諏訪大明神、八幡武大神の三社を一社に合祀す。
手賀野の斧戸(よきど)にあり、社殿は、縦一丈五尺一寸、横一丈四尺五寸の三間社流れ造りです。
神主は、寛永の頃より松源寺住職兼務であり、元禄三年七・・・・・・・・・・ |
508-0015 岐阜県中津川市手賀野723番地 |
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中津川市支部 2213 |
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諏訪神社
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文武二年創建。和名抄所載。延喜式神名帳恵那郡三座の一。豊城入彦命を祭神とする坂本神社にして、常に国司より幣物を供され、又、天暦年間の美濃國神名帳に従五位上。帳内社として坂本郷字坂本に古くより鎮座せる大社なるも、延文二年三月野火の為焼失し、字津戸井に遷座建御名方神外二柱を奉斎し、爾後延宝慶長以降修復を・・・・・・・・・・ |
509-9132 岐阜県中津川市茄子川1792番地の1 |
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中津川市支部 2290 |
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諏訪神社
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創立年暦不詳。明徳二年七月二十七日再建。大永元年十一月再建。明治六年村社に列す。・・・・・・・・・・ |
507-0065 岐阜県多治見市根本町10丁目173番地 |
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多治見支部 1919 |
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諏訪神社
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社伝によれば平安朝時代創祀。里伝に曰く、御構の館の艮の方に位し、故姉小路家代々奉崇する鎮守神たり。南方に別当宮谷寺在りて鼎足の如く共に有名の霊地たるも漸々廃絶して、わずかに社殿のみ存在す。中古構稲荷と称号せしを近世復古すと云へり。維新の後祭式は復旧して再び昔時の奇観を偲するに足ると雖も、未だ社殿の修・・・・・・・・・・ |
509-4215 岐阜県飛騨市古川町杉崎字御構3433番地 |
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吉城郡支部 1318 |
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諏訪神社
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勧請年月日不詳。然れども正徳元年日野庄屋利右ェ門より四名の役人宛に提出したる「厚見郡日野村」と「白山権現、天満天神、諏訪大明神、の三社調」の掟によれば、後奈良天皇の御代弘治元年に建つとあり。之れ創建ならんか。(日野天満神社の由緒による)
文化財等 獅子頭(1306年 嘉元4年)県指定文化財(・・・・・・・・・・ |
500-8207 岐阜県岐阜市日野北1丁目6番5号 |
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岐阜市支部 937 |
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諏訪神社
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諏訪大社の末社にて創立不詳なるも現社殿は棟札より文化四年(一八〇七)宮ノ越 中村伝左衛門善重作とある。総欅造の本殿には、鷲、鶴、龍、鯉、仙人、高砂の姥などの精巧華麗な彫刻が施されている。明治五年一月旧村社となり、明治四十一年七月旧村社猿投神社(旧山口村十一区鎮座、口碑に慶長十六勧請とある)を合祀する・・・・・・・・・・ |
508-0501 岐阜県中津川市山口字上野宮731番地 |
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中津川市支部 3352 |
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