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若宮八幡神社
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創祀未詳、寛永2(1625)年の記録あり。
天和2(1682)年9月25日、倉屋神社で始まった式三番叟「翁舞」の奉納に加わって、二社となり、天下泰平・国土安泰・五穀豊穣、悪疫退散を祈願した。現在は倉屋神社・若宮八幡神社・子安神社・水無神社・大山神社の五社で年毎に交代して、秋の大祭として執行されてい・・・・・・・・・・ |
508-0351 岐阜県中津川市付知町字木ノ下7630番地の1 |
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中津川市支部 2250 |
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若宮八幡神社
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口碑に曰く仁徳天皇六十五年難波根子武熊振熊命に勅あり。両面宿儺を誅伐せしめ給ふ節当地に先帝の御霊と今帝の御稜威を奉齋せしめたらむ。(斐太後風土記)飛騨一ノ宮棟札の文詞云。長木は石浦若宮の杉なり云々(飛州誌)。・・・・・・・・・・ |
506-0825 岐阜県高山市石浦町3204番地 |
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高山市支部 1722 |
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若宮八幡神社
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創建年紀不詳。慶長五年九月十五日関ヶ原合戦の節破壊す。徳川家康公より当村に御扶持方三千人分。慶長七年正月より同六月まで被下候内を以て同年六月二十一日造立す。・・・・・・・・・・ |
503-1501 岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原字御所街道310番地 |
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不破郡支部 2507 |
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若宮八幡神社
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創建年紀不詳なるも、相当往古より在りし神社にして、棟札は元禄十六年三月以後なれども、其の以前の分は慶長年間関ヶ原合戦の当時紛乱したるものなるべし。西軍の主将大谷吉隆の陣営地宮上と称するは此の社を指して云ふなり。古くより当山中村住民の氏神として崇敬殊に厚し。・・・・・・・・・・ |
503-1544 岐阜県不破郡関ケ原町山中字了願寺32番地の1 |
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不破郡支部 2531 |
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若宮八幡神社
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本神社は創建年月日不詳。永禄九年二月当村住人林精十郎、藤原吉正及安藤清八郎社殿を造営す。以来社殿を更めて新営し奉ること寛文十二年及安永七年の両度に及ぶ。然るに近年社殿は古色ほ帯び、加ふるに幣殿及社務所の施設を欠きて神事に不便を感じ氏子一同は誠に恐懼に堪へず。時に昭和八年本殿及幣殿を造営し奉り社務所を・・・・・・・・・・ |
509-5202 岐阜県土岐市下石町2077番地 |
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土岐支部 2324 |
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若宮八幡神社
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当神社は中仙道の宿野上の里に鎮座ありて往古より公家武将の参詣多々あり。・・・・・・・・・・ |
503-1532 岐阜県不破郡関ケ原町野上2266番地 |
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不破郡支部 2517 |
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若宮八幡神社
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徳川幕府初期時代今須村字大河内奥宮谷口付近に部落を有する頃之が建立にかかり其の後灰原十郎兵衛なる武人の崇敬するところとなる。今尚同人の馬駈場と称する跡あり。其の後漸時時代の変遷により該大河内奥の部落は他へ転住してより既に百幾十年を経過せりと然れども該神社崇敬者そして氏子は存続し、年々祭事を営みつつあ・・・・・・・・・・ |
503-1543 岐阜県不破郡関ケ原町今須3682番地 |
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不破郡支部 2525 |
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若宮八幡神社
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字平井に鎮座祭神応神天皇仁徳天皇神功皇后伏見天皇の御代正応年間平家の落人三輪六左衛義里大和國より今須村祖父谷に移住し、護神として祖父谷山端に創建せし社なるが、後水尾天皇の御代元和元年間に至り、三輪義行本社を平井に移し、山林を平らにし、境内となす。移転後祖父谷、平井の氏神となし、村人の崇敬する宮となる・・・・・・・・・・ |
503-1543 岐阜県不破郡関ケ原町今須2399番地 |
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不破郡支部 2524 |
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若宮八幡神社
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詳細
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創祀未詳なれども、延享二年三月十五日修葺の棟札あり。濃州志略若宮八幡祠と見えたる社是なり。社地の儀は総坪数三千三百四十九坪なりしを、明治八年上地に相成り、現在の坪数に減せり。祭典の式たるや、九月五日、御輿市中を戸御、当町六組の者神楽屋形を打ち囃子にて供奉す。・・・・・・・・・・ |
505-0116 岐阜県可児郡御嵩町御嵩1072番地 |
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可児支部 554 |
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若宮八幡神社
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社伝によれば室町幕府時代以前創祀。口碑に曰く往古より彌榮杉とて老木あり。神霊鎮座すとて祭祀せりと伝ふ。元禄七年カチ月検地の砌若宮八幡宮宮地二畝二十七歩除地村抱。・・・・・・・・・・ |
509-4414 岐阜県飛騨市宮川町大無雁字岩野327番地 |
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吉城郡支部 1352 |
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