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縣神社
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当社は美濃市曽代、標高437メートルの古城山の麓、曽代川が長良川に注ぐところ、小だかき丘に鎮座する。古くからの曽代の産土神であった。此処に承応3年(1654)村人達は当地の豪族西部義久公を慕って奉斎した。西部義久公は、清和天皇の後裔、姓は源、義仲の時代に姓を木曽と改め、それより七代の孫、木曽又太郎家・・・・・・・・・・ |
501-3714 岐阜県美濃市曽代287番地の1 |
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美濃市支部 2463 |
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縣神社
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当社元字中溝に鎮座しありしが、大正四年十二月二十七日字南山無格社神明神社同無格社熊野神社、字中溝家各社木下神社を合併し、同時に現在の地に遷座したる無格社白山神社の地に移転と共に同社を合併し、村社縣神社の名を存す。・・・・・・・・・・ |
501-1101 岐阜県岐阜市佐野728番地の1 |
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岐阜市支部 1057 |
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縣神社
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擁烈根之命は五十瓊敷入彦命の御嫡男市隼雄命の御弟にして人皇十三代成務天皇の御宇に一祠をこの地に創立し、その后度々暴風の為に社頭傾頽すと雖も氏子等心を合わせて其の時々改め建立す。・・・・・・・・・・ |
500-8176 岐阜県岐阜市県町1丁目4番地 |
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岐阜市支部 936 |
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縣神社
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本神社の祭神並びに由緒不詳とあるも、本町内の旧家多田司作氏所蔵の古文書によれば、当社は永禄八年九月朔日尾州大縣(愛知県丹羽郡楽田村字宮山鎮座元国弊中社大縣神社)の御分霊を遷し縣方明神と斎ひ奉り、一宇の社造営して永禄八年十一月二十一日大縣御寶殿建立ありて最古の棟札も保存あり。祭神國狭槌尊を祭るとあり。・・・・・・・・・・ |
509-0301 岐阜県加茂郡川辺町下麻生1938番地 |
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加茂郡支部 421 |
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縣神社
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永和元年六月一日鎮座。永和元年六月朔日長森縣の社を遷す。伝記に曰く、縣大明神は武内宿禰十四世苗裔参議左大辨紀家守は延暦三年美濃に任國の時、征夷大将軍多治比縣守の孫大内紀縣則の子を猶子と為て検校太夫紀縣守と曰ふ。美濃國に住す。貞観十五年八月十五日卒す。壽百八歳。其の後平治年中渋谷金王丸之を崇め縣大明神・・・・・・・・・・ |
500-8283 岐阜県岐阜市茜部野瀬3丁目249番地 |
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岐阜市支部 985 |
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縣神社
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元縣大明神と称し、口碑に曰く、厚見郡藪田村地内に古宮跡あり。往古は是に鎮座せしを堤防切入み本殿流失してより、爪村に移転と成り、両村の間地名を縣木と云へり。今に小塘ありて之を縣木堤と号し、本郡、西庄、爪、藪田三村組合持なり。茲に地名を採りて縣神社と云ふ。・・・・・・・・・・ |
500-8363 岐阜県岐阜市爪78番地 |
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岐阜市支部 1000 |
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縣神社
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当社元長塚字霜畑891地内に在りしを氏子分離により、昭和二十年十月現在地へ移転鎮座。長塚字新田の崇敬神社となれり。・・・・・・・・・・ |
504-0045 岐阜県各務原市那加新田町2丁目30番地 |
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各務原市支部 765 |
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縣神社
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和知村役場社寺明細帳には郷人伝言に、加茂の郷は古賀茂縣主置れた事延喜式内神明帳に縣主神社之有は、開花天皇の王子彦御座王崇神天皇御代に加茂縣主に任命せられ、後其の子孫此の地を拓殖して縣主姓を帯びて代々世襲して此の地を治められ、後代土地開拓の神として崇拝勧請斎祀したるもの。縣神社鎮座の地は古来村上と称し・・・・・・・・・・ |
505-0306 岐阜県加茂郡八百津町上飯田625番地 |
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加茂郡支部 397 |
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