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神明神社
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詳細
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創建年月及縁由不詳・・・・・・・・・・ |
509-1603 岐阜県下呂市金山町岩瀬字前平2046番地の1 |
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益田支部 292 |

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神明神社
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詳細
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創立年月日不詳なれども、里老の口碑の伝ふる処に依れば、往古某なる者社地を寄付して創建せるものにして其の詳細不詳。・・・・・・・・・・ |
503-0402 岐阜県海津市南濃町志津新田500番地 |
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海津市支部 651 |

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神明神社
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詳細
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北蛇持の産土神として創立。明治十二年二月十八日再建す。・・・・・・・・・・ |
503-1303 岐阜県養老郡養老町蛇持448番地 |
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養老上石津支部 3150 |

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神明神社
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詳細
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土岐美濃守寄付、慶長九年九月建立。・・・・・・・・・・ |
502-0081 岐阜県岐阜市長良鵜飼屋119番地 |
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岐阜市支部 1186 |

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神明神社
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詳細
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当神社の創立年代は不詳である。祭神は国民すべての祖神天照大神である。延喜式神名帳(平安時代)に記されている川島神社は当社のことで往古は松倉村をはじめ近郊十四ケ村を有していたと伝えられ永緑年間(戦国時代)坪内美濃守の産土神で松倉城築城の際鬼門に相対する神社として殊のほか崇敬のあった神社である。明治6年・・・・・・・・・・ |
501-6022 岐阜県各務原市川島松倉町字上ノ島2232番地の1 |
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各務原市支部 147 |

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神明神社
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詳細
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上川手神明神社の由来は古く第12代景行天皇の皇子御誕生の地とされ第56代清和天皇より貞観18年(876)7月11日「勅使児宮正六位」の宣下、その後「従五位子安宮」を賜う又その後南宮の勅使下向「正五位」を賜うとあり、明治の末期頃迄は子安宮と言い安産祈願のため多くの参詣人があったと伝へられています。毎年・・・・・・・・・・ |
500-8245 岐阜県岐阜市上川手字南出260番地 |
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岐阜市支部 959 |

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神明神社
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詳細
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雄略天皇十七年創祀。本村は中古駅家に当り倭姫命神器を奉して大和笠縫邑より出て駅家を通過して本巣郡伊久良河宮に四年間奉齋し賜ふ其の神徳を忍びて後年雄略天皇の御代河原田に本社を創建すと傳ふ。享禄三年より天正四年に至る揖斐川流域変遷の為村の西部を河貫通し字二つ屋の地を河の西岸に分離するに至りし為当社亦揖斐・・・・・・・・・・ |
501-0534 岐阜県揖斐郡大野町下座倉379番地 |
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揖斐郡支部 2917 |

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神明神社
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詳細
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創建年月及縁由不詳・・・・・・・・・・ |
503-0845 岐阜県大垣市牧新田町字内田112番地 |
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大垣市支部 1990 |

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神明神社
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詳細
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古来伊勢大神の分神と拝す。創祀寛政九年。・・・・・・・・・・ |
501-2901 岐阜県関市板取5407番地 |
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武儀支部 2624 |

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神明神社
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詳細
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第十二代景行天皇の御代舂米宿弥氏美濃国当地に在り。荒地を開墾し田畑を造り米作りをしたのが当本郷の始まりという。その后仁和4年(888)夏、当地方旱天続き、池田山の谷川総て水枯れ、農作物も枯死寸前に至り飲料水も事欠き村人難渋のとき樋口金吾祐寛等山中に入り谷奥に水源を求め樋を埋め池を堀り導水したので漸く・・・・・・・・・・ |
503-2417 岐阜県揖斐郡池田町本郷547番地 |
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揖斐郡支部 3062 |

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