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日吉神社
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創立年代不詳なれども那加町屈指の広大なる境内を有し老杉古松等鬱蒼として繁茂なし、境内瓢箪池には例祭の頃多数の蝦蟇が出て来り祭礼も「かはず祭」と呼称され、当日氏子崇敬者より「とりのこ」と称する特殊の供物が山ほど積み供へられ、参拝者に配られる折はその賑々しさ耳をおほふばかりなりき。境内には燈籠の古きもの・・・・・・・・・・ |
504-0958 岐阜県各務原市那加新加納町2225番地 |
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各務原市支部 813 |
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日吉神社
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弘仁年中安八郡惣社神主安八太夫存命不走なるに伝教大師の高徳を慕ひ、祈願を乞ければ、大師此の地に来り祈念ありければ、大夫喜悦の余り平野庄に於いて勧学院を建立。大師の○開山を五千石御朱印を給ふ。日吉山王を奉請神殿造九町九間日吉大門とせり。則下宮是なり。建久元年に源頼朝公上洛の砌日吉山王の前を下馬為敬の所・・・・・・・・・・ |
503-2312 岐阜県安八郡神戸町下宮村中1842番地の1 |
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安八郡支部 99 |
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日吉神社
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創建の年月は不詳であるが、伝承によると応永十六年美濃国大桑の土岐一統が郡上郡を押領のため攻め入ったが、篠脇城主東益之(胤綱)のために撃退された。その後、益之は犬鳴山に城を築き城下の守護のため今の地に社祠を建てた。これが日吉神社の起源といわれる。元亀2年東氏の後裔遠藤慶隆は、織田信長の軍に従い比叡山攻・・・・・・・・・・ |
501-4222 岐阜県郡上市八幡町島谷字若宮683番地 |
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郡上市支部 1407 |
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日吉神社
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詳かならざるも往古より氏子の敬神の念厚し。・・・・・・・・・・ |
503-0015 岐阜県大垣市林町3丁目10番地 |
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大垣市支部 1943 |
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日吉神社
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創祀不詳。寛永21年10月、元禄3年9月、寛政11年7月再営。・・・・・・・・・・ |
502-0859 岐阜県岐阜市城田寺字大平3193番地 |
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岐阜市支部 1198 |
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日吉神社
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勧請年月日不詳なるも古老の口碑伝説に因れば、三百年以上産土神として鎮斎したる古社にして子孫繁栄五穀豊穣の守護神崇敬し来たるものなり。天保五年四月摂社大年神社、末社神明神社鎮座。
白山神社、津島神社、金比羅神社、愛宕神社、秋葉神社大正5年12月各部落に祀られてある宮を末社として遷し祀る。・・・・・・・・・・ |
501-2258 岐阜県山県市中洞122番地 |
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山県市支部 1797 |
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日吉神社
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宝治二年領守神体二十一体を金剛寺山の麓に安置す。其の後大破により十三体となり、明暦四年再建。その後火災により九体を焼失。元禄十二年再建時更に二体を紛失。集落より遠隔道路険阻なるにより明治二十年九月十三日現在地に遷座奉斎する。・・・・・・・・・・ |
501-5103 岐阜県郡上市白鳥町二日町字萩原924番地 |
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郡上市支部 1522 |
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日吉神社
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縁由不詳なれども、大字勢至の地は既に奈良朝時代に開け巨刹の建立を見、神護景雲三年不破内親王の遁れて当地に来られし由書に見え、又当地は勢至る千軒寺三ヶ寺とて頗る大村なりしが、時代の推移と共に衰微し、今は戸数僅かに数戸となりしものにして、氏神としての神社の創立も相当に古きものと水量される。但し、文献散佚・・・・・・・・・・ |
503-1256 岐阜県養老郡養老町勢至96番地の1 |
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養老上石津支部 3119 |
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日吉神社
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本社は近江国比叡坂本鎮座の日吉大社の御分神である。建久元年(1190)源頼朝右近衛大将となり京都青蓮院三世慈円に青蓮院領として美濃国小島庄を寄進された。その由緒により庄園鎮護の為「日吉山王社」をこの地に勧請祭祀された。今より約八百年前の創建である。御祭神は大山咋神をお祀りしている。・・・・・・・・・・ |
501-0634 岐阜県揖斐郡揖斐川町上野857番地 |
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揖斐郡支部 2991 |
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日吉神社
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文政九年当村大字宮大神神社の御分霊を奉迎し、豊福大明神と称し、又日吉神社を合祀して、古社大明神と改称し、明治六年より日吉神社と改む。・・・・・・・・・・ |
503-1623 岐阜県大垣市上石津町上多良561番地 |
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養老上石津支部 3238 |
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