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八幡神社
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当社は延応年中源家の落人宇佐八幡神社の御分霊を奉持して当村に来り一祠を創建す。後村内崇敬の氏神となったと云ふ。境内に大山咋命を祀りて山神神社として居る。昔当邑の樵夫の守護神として祭った神である。大正九年頃造営の神殿、幣殿、拝殿、鳥居、燈籠等善美を尽くしている。・・・・・・・・・・ |
503-1635 岐阜県大垣市上石津町時山167番地の1 |
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養老上石津支部 3255 |

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八幡神社
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この地域は狩り宿というが、江戸期には遠山美濃守の御狩り場であった。近くには矢場もあり弓道の練習場がある。武神を祀り敬神崇祖の念が篤かった遠山氏は、この地に八幡の大神を祀らせ武道に励み、武運長久を祈った。
かなり古い石の狛犬があるが年代は不詳である。・・・・・・・・・・ |
508-0101 岐阜県中津川市苗木字狩宿4391番地 |
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中津川市支部 2231 |

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八幡神社
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里伝に云ふ正慶年中石上兵庫なる者当津に居を構へ近郷数ヶ村領せし時石上氏相州鎌倉より当社を遷座して氏神となせし由。故に今の里人唱ふる○石上八幡と称す。一説云ふ、養老年中越の泰澄加賀國白山開創の後当郡内に四十九社を創建す。即当社は殻見明神と称し該四十九社の中なる由云ふ。・・・・・・・・・・ |
501-4223 岐阜県郡上市八幡町稲成752番地 |
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郡上市支部 1411 |

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八幡神社
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御名は譽田別尊、仲哀天皇の皇子。御母は神功皇后なり。皇后胚孕の御身を以て韓国を征平し給ひ、班師の時、筑紫の宇美にて天皇を誕生し給ふ。天皇御宇の間文学工芸を興し、皇威内外に輝し給へり。後聖武天皇の御代八幡大神と奉称す。当神社勧請年代未詳。寛延元年閏十月再建。古来当区の産土神なり。・・・・・・・・・・ |
509-3214 岐阜県高山市久々野町無数河1442番地 |
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大野支部 2178 |

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八幡神社
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創立年月日不詳なるも村内繁栄のため奉齋す。当社は元大字三柿野村中108番地の1に在りしが、軍事上必要に依り現在の地に移転せん事を出願し、昭和十五年七月十五日許可同年八月三十日移転を了す。・・・・・・・・・・ |
504-0814 岐阜県各務原市蘇原興亜町4丁目4番地の8 |
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各務原市支部 771 |

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八幡神社
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創祀不詳なれども、氏子古老の口碑並びに境内林の樹齢からみて三百年以前と推定され、古来村内氏子を始め一般崇敬者の信仰が篤い。・・・・・・・・・・ |
501-6257 岐阜県羽島市福寿町平方字土取182番地 |
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羽島支部 254 |

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八幡神社
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創祀未詳なるも、寛文以前の創祀なり。棟札、寛文七年閏二月二十三日奉建立八幡大菩薩惣氏子繁盛之所、濃州厚見郡前一色村惣氏子敬白。以下享保五年二月(上葺・井垣)、元文五年四月(上葺)、天明二年五月二日(上葺)、寛政六年九月(拝殿建立)、文化十年正月(秋葉山大権現)、寛政三年八月(秋葉山大権現)。享保十四・・・・・・・・・・ |
500-8232 岐阜県岐阜市前一色2丁目1番6号 |
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岐阜市支部 950 |

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八幡神社
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寛平五年三月創祀。本村は石太郷の一部にして社傳には寛平五年創建とあり。美濃國神明帳内の従五位下石部明神は当社に該当すとの説あり。古来上磯有里本庄鹿野定松五之里南方麻生九ヶ村の総社なり。毎年旧正月十四、十五両日の神田祭には掛役員裃着用帯刀にて神前に罷出祭祀を執行せるものにて前日即ち十四日には探湯の神事・・・・・・・・・・ |
501-0531 岐阜県揖斐郡大野町上磯292番地 |
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揖斐郡支部 2912 |

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八幡神社
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古代此の地祭祀を行ひたる神跡にして、應永年中、土岐氏此の地に勧請し、後慶長十六年亥四月九日村民再興せんか。寛文四年霜月十一日社殿を改築し、明治四年村社に列せられ、明治四十一年七月十八日神明神社字巾下より、貴船神社を字唐鋤より、稲荷神社を字哀川より移転。住吉神社を唐鋤より、熊野神社を樫塚より合霊す。境・・・・・・・・・・ |
501-3921 岐阜県関市東田原806番地 |
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関市支部 892 |

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八幡神社
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由緒不詳なれど、新撰美濃志に柳湊は梶屋の北にあり。尾張領五十二石枝郷一所細江村は西にあり。八幡社は当村にありと見ゆ古社なり。細江の西の川原に義朝楊枝柳と言へる一株あり。義朝が尾張の野間へ落ち行く途中に楊枝を差して行きけるが根付たるものとて古来大切にせしが、近年枯死せり。八幡社の在るも源氏に縁が有るか・・・・・・・・・・ |
503-0631 岐阜県海津市海津町稲山字一の割434番地 |
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海津市支部 728 |

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