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八幡神社
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延元二年八月十五日創祀。延元二年八月十五日太田惣助清次奉勧請八幡大菩薩の記録あり。慶長五年九月二十三日太田興兵衛信義大阪陣へ出馬御朱印頂戴為御礼八幡宮へ拝殿建立記録有。・・・・・・・・・・ |
501-3787 岐阜県美濃市上野869番地 |
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美濃市支部 2498 |
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八幡神社
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創祀不詳なりと雖も昭和五年三月境内の拡張を行ひ、社殿を改造し、玉垣、鳥居石灯籠を整備した。・・・・・・・・・・ |
501-0431 岐阜県本巣郡北方町北方字春来町1211番地 |
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本巣郡支部 2780 |
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八幡神社
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往古当村を泉江荘と称し延久四年九月五日太政官牒により石清水八幡の庄園となるや荘内に其御分霊を祀りしものにして大門内に左に皇后石 右に竹内礼拝石あり 是右は竹内宿禰公 左は神功皇后と称へ現在其一個を存す 古今女人を禁せり 且大門内四拾八間を神馬場と呼ふ昔神職も乗馬せし地とす 境内に以前神木として八尺三・・・・・・・・・・ |
503-2426 岐阜県揖斐郡池田町八幡字中野1410番地 |
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揖斐郡支部 3075 |
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八幡神社
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年代は詳かならざるも、当社曾て祝融の災に罹り、古文書類焼失したり。故に文献の徴すべきものなきも、口碑の傳ふる処によれば、創立の由来は今を去る数百年前、当村近傍に敬神の念殊に深き農夫あり。その霊夢により、八幡大神の御出現を見、一宇の社祠を創立。崇敬したる由言ひ傳ふ。棟札は、延宝二年のものあり。明和七年・・・・・・・・・・ |
503-1262 岐阜県養老郡養老町小倉868番地 |
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養老上石津支部 3123 |
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八幡神社
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昔佐竹一統大永の頃より南蛇持村に居住し、氏神として寛文三年八幡宮を建立す。後貞享三年洪水の為倒潰に瀕し寛永四年正月中興建立。宝暦年中改築。明和九年家並御改帳に境内石見御検御除地とあり。産土神として永代崇拝の社たり。明治四年七月太政官達により村社に属す。・・・・・・・・・・ |
503-1303 岐阜県養老郡養老町蛇持100番地 |
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養老上石津支部 3151 |
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八幡神社
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創祀不詳。寛文五年時の領主小笠原土佐守より田一段二畝二十四歩寄付せられたり。境内二百九十坪。・・・・・・・・・・ |
503-1272 岐阜県養老郡養老町大場字宮屋敷251番地 |
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養老上石津支部 3134 |
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八幡神社
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享保十九年一月十五日創祀。八幡神社は15世紀の中頃池田浄連右馬次郎なるもの草深上連馬に池田城を築き居を構えた。時あたかも戦国騒乱の時代であり武運長久を祈るため豊前国宇佐八幡宮に詣でその分霊を現在の地に勧請したと伝えられる。故に大門より境内の建造物の配置、境内のたたずまい並に本殿背後のお手洗池は全く宇・・・・・・・・・・ |
503-2418 岐阜県揖斐郡池田町草深448番地 |
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揖斐郡支部 3063 |
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八幡神社
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創立年紀不詳。本相は二ツ木庄なり。現存せる棟札次の如し。延宝三年十月奉造営氏子中、元禄七年十二月奉納八幡大菩薩、宝永六年霜月奉納八幡大菩薩、正徳二十二年四月奉修八幡大菩薩、文化二年濃陽村々明細記二ツ木村の條に左の記録あり。一、八幡宮 社五尺五尺 拝殿二間三間 鳥居一丈三尺九尺八寸 境内御除地・・・・・・・・・・ |
503-0105 岐阜県大垣市墨俣町二ツ木22番地 |
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安八郡支部 8 |
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八幡神社
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文化十二年創祀。その他由緒記載なし。・・・・・・・・・・ |
509-7321 岐阜県中津川市阿木字宮ノ越7166番地 |
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中津川市支部 2279 |
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八幡神社
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霊亀二年当村住農尾藤氏なるもの夢想に依り養老二年当村七代天神創立と同時に創建すと云ふ。・・・・・・・・・・ |
501-4610 岐阜県郡上市大和町島字桑原6126番地の1 |
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郡上市支部 1511 |
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