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八剱神社
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人皇第12代景行天皇の皇子日本武尊が伊吹山賊を御征討の際その御通路であった里人が後世尊の御雄姿を景迎して奉斎したもので年紀は不詳だが天正9年竹ケ鼻城主 不破源六郎友綱が村内字須賀の元宮から現地へ遷祀したと伝えられ明治6年竹ケ鼻,本郷,平方,浅平,間島,足近新田の郷社に列した。社殿の建築は飛騨匠、武田・・・・・・・・・・ |
501-6241 岐阜県羽島市竹鼻町3298番地の1 |
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羽島支部 244 |
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八剱神社
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斉衡二年八月十七日創祀。当社は延喜式神明帳尾張國中島郡(三十座の内)石刀神社及尾張國神明帳中島郡石門神社は当社なり。則ち本証にも尾張國中島郡式内三十座の内石刀神社國張に云石門天神社今在石田村云々。(中島郡に石刀村なしこれは石田村の事ならん。登と手は國音相近ければなり而して勧請は斉衡二年八月十七日鎮座・・・・・・・・・・ |
501-6321 岐阜県羽島市桑原町八神4665 |
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羽島支部 279 |
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八剱神社
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創祀未詳なれども、美濃明細記第二巻に曰く、当区玖利邑八剱美也八坂入彦皇子、八坂入媛之霊を祭る社也。同記第八上に曰く、崇神天皇の皇子八坂入彦皇子、日本書紀に曰く、景行天皇四年美濃泳宮喚八坂入彦皇子之女、八坂入媛云々。以茲按ずるに八坂入彦皇子可児郡久々利佳。と載せ、木曽路名所図絵、泳宮祭神八坂入彦命、八・・・・・・・・・・ |
509-0224 岐阜県可児市久々利1666番地 |
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可児支部 604 |
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八剱神社
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創祀未詳。明治六年一月村社に列す。・・・・・・・・・・ |
501-3601 岐阜県関市上之保字宮ノ平18773・18774番地の2 |
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武儀支部 2669 |
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八剱神社
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美濃國八神村、八社大明神は天平年中行基菩薩此の地に来て仏閣を経営し、不動明王を彫刻し安置せし後神殿に八面の木造を奉納せり。まことに両部の神秘なり。郡名を武儀といい、村名を八神という。天文七戊戌の春齊藤八郎左衛門尉利直入道宗雄この峰に城郭を築かんと思い小随峰に八社明神の鎮座あり、不動尊の霊場を移すべし・・・・・・・・・・ |
501-3202 岐阜県関市西神野1420番地 |
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関市支部 844 |
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八剱神社
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創祀不詳、縁起不明。古来より欠花、鍛冶ヶ入区の崇敬社として奉齋せり。・・・・・・・・・・ |
509-5301 岐阜県土岐市妻木町掛花1887番地の1 |
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土岐支部 2331 |
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八剱神社
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創立原由未詳。往古より字神田と申す処に鎮座すと云ふ。本村は一旦中絶して荒野となる。此の年度も亦未詳。慶長年中(慶長十二年十月吉日八劔大明神を奉斎の棟札有り。)再び土地を開墾して人民移住す。之に依って右八劔大明神神社再興して今の地に遷座し、斎き祭る。追々氏子相増し、大野村寺前村の両村民之を氏神、産土神・・・・・・・・・・ |
509-1221 岐阜県加茂郡白川町上佐見335番地の1 |
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加茂郡支部 514 |
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八剱神社
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創立年月不詳。往古本村字宮畑にありと云ふ。即ち社殿の跡なり。又此の宮畑を通称字剱と云ふ。・・・・・・・・・・ |
501-0404 岐阜県本巣市春近字蜀那393番地 |
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本巣郡支部 2738 |
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