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大和神社
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一、境内 往古は二町歩余であったが、その後開墾して神田となったため、今は八反二畝三歩に末社神明社の境内一反四畝二歩を加へ九反六畝五歩となる。一、参道は享保以前は中六間であったが、両度の開墾の際三間に減じ、明治二十二年北方街道改修の時参道を中断した。隔離後田となった部分は5431の2。一、鳥居は往古は・・・・・・・・・・ |
501-0603 岐阜県揖斐郡揖斐川町上南方543番地 |
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揖斐郡支部 2952 |
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多度神社
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当社は天正元年九月二十九日伊勢國桑名郡多度村に鎮座の多度神社を勧請し、脇之島郷、下ノ洞郷の産土神として奉祀せりと傳へらる。
特殊神事…御神迎え祭・・・・・・・・・・ |
507-0827 岐阜県多治見市平和町1丁目123番地 |
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多治見支部 1927 |
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八幡神社
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明暦三年五月十五日創祀。当社御祭神は品陀別命にして、後に応神天皇と諡せり。御本社は京都府下男山八幡宮なり。当社は明暦三年五月十五日創建と明細帳に見ゆれ共、古老の口碑に依れば、土岐頼遠氏足利直義に従ひて戦功あり。後延元三年青野原に於いて源頼家と戦ひ、戦敗して長森城に帰る。よって神明の加護に依らずんば戦・・・・・・・・・・ |
509-5101 岐阜県土岐市泉町河合字宮洞1020番地の2 |
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土岐支部 2308 |
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諏訪神社
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創立年紀不詳。当社神事に古例ありて古来火鎮の具等相伝ふ。神饌調ある節白木飾を以て袖を寒く此をひれと云ふ。又古鏡二面あり。美濃神名帳方縣郡十一社内正六位上比禮明神の説あり。慶長十四年大久保石見守殿御検地の節元境内一町六反二畝歩見捨地となる。寛文四年正月、元禄十六年三月、寛延二年五月、神祇官より神主新補・・・・・・・・・・ |
502-0005 岐阜県岐阜市岩崎2丁目17番20号 |
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岐阜市支部 1174 |
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上野神社
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詳細
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創祀不詳なれども寛文十三年再建の棟札現存。旧幕府時代より上野村一村の産土神として厚く崇敬を集む。
創祀は不詳であるが寛文十三年再建の棟札が現存し、現在の坂下地区、上野地区にある神社の中では最も古い形式の社殿である。旧幕府時代より上野村一村の産土神社として厚く崇敬を集めている。例祭には神幸祭が行われ・・・・・・・・・・ |
509-9231 岐阜県中津川市上野244番地 |
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中津川市支部 2292 |
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春日神社
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当社創立旧記伝来無くして詳ならずと雖も延宝七年九月造営の棟札有れば、延宝年間より以前なること勿論なり。然るに神像を拝覧するに最も古材にして年暦を経る事久し。従前無格社たりしを氏子有るを以て明治十二年六月村社に加列す。昭和二十七年一月十六日神社本庁承認により境内神社として神明神社を合併せり。・・・・・・・・・・ |
501-2112 岐阜県山県市西深瀬286番地の1 |
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山県市支部 1748 |
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白山神社
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創立年月不詳。然れども慶長十四年大久保石見守検地の節境内除地となれば、慶長以前の勧請なり。貞享五年六月、享保十年三月元文三年十一月弘化四年三月造営。昭和二十七年一月十六日境内神社として八坂神社を合併せり。・・・・・・・・・・ |
502-0005 岐阜県岐阜市岩崎367番地 |
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岐阜市支部 1173 |
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雙六神社
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創祀未詳。棟札に元和三年十一月二十一日奉造立後宮とあり、此より古き棟札二枚あり。文字不明にして年紀を知るを得ざるも、三百年以上前よりの古社にして当地産土神として崇敬し社殿完備に努め来るものなり。大正十二年三月二十五日大字新宮《白山神社》を合祀。
平成22年9月新社殿造営、平成23年3月拝殿新築・・・・・・・・・・ |
501-2253 岐阜県山県市日永875番地 |
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山県市支部 1786 |
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春日神社
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創祀不詳と雖も美濃國神明帳曰く、正六位下春日明神元禄棟札等多く之有処、享保年間村方系統論を醸し為に地頭戸田内藏助の役人の命に依り、悉く焼却せりと云々。古来村社の処明治五年郷社に列す。享保年間洪水に依り、玉貫用水氾濫し、藪川と分流せし以来水田分六分分水の協議成立し、神鏡を奉る為六分の水量を席田郷へ引水・・・・・・・・・・ |
501-0407 岐阜県本巣市仏生寺657番地 |
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本巣郡支部 2745 |
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北野神社
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元禄十四年八月山城國京都北野より勧請せりと傳へらる。・・・・・・・・・・ |
507-0818 岐阜県多治見市大畑町1丁目33番地 |
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多治見支部 1925 |
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