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新羅神社
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当社の由緒は、最初奈良時代前期より鎮座し、平安時代前期頃より田只味(多治見)郷の産土神として田只味明神(八王子神)を祀る。次に鎌倉時代八幡大神を合祠し土地の豪族多治見氏を始め多くの崇敬を集めて社殿も改まり、神威も加わりしが正中年間、後醍醐天皇の御代天皇側に付きし多治見国長公の挙兵失敗に伴い次第に衰微・・・・・・・・・・ |
507-0834 岐阜県多治見市御幸町2丁目99番地 |
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多治見支部 1928 |
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塩竃神社
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創立年月日不詳なれども、孝霊天皇第三皇子伊予主五十五代第三の子浄正少弼通直の子関谷大和守定高、第百二代後土御門天皇の御宇明応五年猿田彦命を塩竃大明神と勧請すと云へり。加藤家系譜に加藤遠江守光泰の子左ェ門尉貞泰公四万石を領し、美濃國黒野城主となれり。居城の際の守護神なりと称せり。元和二年以後大垣領地と・・・・・・・・・・ |
501-0521 岐阜県揖斐郡大野町黒野字南屋敷1715番地 |
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揖斐郡支部 2907 |
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熊野神社
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創祀不詳なれ共寛永二十一年、寛文四年九月、明和元年九月、天明六年九月、文化四年九月、弘化三年九月、宝永元年九月、享保九年九月、延享元年九月右修理造営の棟札あり。・・・・・・・・・・ |
502-0803 岐阜県岐阜市上土居字戸石965番地 |
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岐阜市支部 1190 |
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上野神社
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創祀不詳なれども寛文十三年再建の棟札現存。旧幕府時代より上野村一村の産土神として厚く崇敬を集む。
創祀は不詳であるが寛文十三年再建の棟札が現存し、現在の坂下地区、上野地区にある神社の中では最も古い形式の社殿である。旧幕府時代より上野村一村の産土神社として厚く崇敬を集めている。例祭には神幸祭が行われ・・・・・・・・・・ |
509-9231 岐阜県中津川市上野244番地 |
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中津川市支部 2292 |
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白山神社
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創立年月不詳。然れども慶長十四年大久保石見守検地の節境内除地となれば、慶長以前の勧請なり。貞享五年六月、享保十年三月元文三年十一月弘化四年三月造営。昭和二十七年一月十六日境内神社として八坂神社を合併せり。・・・・・・・・・・ |
502-0005 岐阜県岐阜市岩崎367番地 |
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岐阜市支部 1173 |
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白山神社
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創祀未詳なれども、貞享二年五月十八日。発願主渡井市衛門、道師別当泉福院舜勝、大工藤原朝臣、野井村鈴木六衛兵、相大工当村勝善右衛門とあり。又棟札にはね再建享保十三年八月二十一日。その他古文書あり。又文政元年再建ともあり。・・・・・・・・・・ |
509-7125 岐阜県恵那市三郷町椋実字寺田1071番地の1 |
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恵那市支部 1561 |
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八幡神社
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由緒不詳なれど、新撰美濃志に柳湊は梶屋の北にあり。尾張領五十二石枝郷一所細江村は西にあり。八幡社は当村にありと見ゆ古社なり。細江の西の川原に義朝楊枝柳と言へる一株あり。義朝が尾張の野間へ落ち行く途中に楊枝を差して行きけるが根付たるものとて古来大切にせしが、近年枯死せり。八幡社の在るも源氏に縁が有るか・・・・・・・・・・ |
503-0631 岐阜県海津市海津町稲山字一の割434番地 |
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海津市支部 728 |
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八幡神社
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創建不詳。社地境内に相羽城跡の石柱あり。相羽城は美濃國明細記に曰く長屋大膳之亮景與及其嫡子長屋與五右ェ門景直垂井城主景教の嫡子景興に属、土岐二万石を領し、天文十六年土岐頼芸没落の時斉藤道三に不従為に道三相羽城を攻め十二月景興及景直父子共に戦死す。故に当八幡神社に石碑を建立しありて、後日八幡神社に合祀・・・・・・・・・・ |
501-0522 岐阜県揖斐郡大野町相羽2丁目1299番地 |
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揖斐郡支部 2908 |
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神明神社
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創建年月及縁由不詳・・・・・・・・・・ |
502-0002 岐阜県岐阜市粟野東5丁目682番地 |
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岐阜市支部 1171 |
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日吉神社
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天正六年七月創祀。古文書棟札は往年大洪水の為流失し、現存せず。旧信州義村家系譜反旧記録に依れば、元応二年正二位青松播磨少弼國長播磨國沖に居住す。同年正月十五日後醍醐天皇に随従し、家名を赤松と改め武門となる。國長の嫡子赤松二郎判官則村は後醍醐天皇に仕ふ。然るに御若宮護良親王に従隋し沙門となり、比叡山に・・・・・・・・・・ |
501-0523 岐阜県揖斐郡大野町下方字上地1060番地 |
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揖斐郡支部 2909 |
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