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飛騨総社
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朱雀天皇承平年間創祀。明治四年九月十二日縣社に列し、維持五年四月五日郷社に明治十三年七月十日縣社に復す。朱雀天皇の御代承平年間飛騨國国司国内の官社を当地(国府の古跡当域内に存す)に勧請し、總祭して世々祭祀を努め来りたり。按ずるに当神社は飛騨の国司が所載の班幣を執り行へる齋場(總社考に神祇式に云ふ祭日・・・・・・・・・・ |
506-0006 岐阜県高山市神田町2丁目114番地 |
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高山市支部 1677 |
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東照宮
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東照神君徳川家康公没後三年の元和五年(1619)、時の高山藩主金森家三代重頼(幼少時駿府にて小姓として最晩年の家康公に仕えた。)、高山城内に東照権現社を勧請。十年目の寛永五年、城に西面する西之一色鴻巣の杜尾崎に遷座したのが飛騨東照宮の創始である。金森藩六代頼ときの延宝八年(1680)社殿を改修、清鏡・・・・・・・・・・ |
506-0031 岐阜県高山市西之一色町1004番地 |
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高山市支部 1683 |
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村上神社
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創祀不詳。古老の口碑に曰く、往古今宮と云ふ。高貴の御方を左ェ門尉なる者供奉し来りて、今見組に住居して川向ひの丸山に村上天皇を神社に祀られ、その後その地を村上と唱へ来るなり。・・・・・・・・・・ |
506-1431 岐阜県高山市奥飛騨温泉郷村上1461番地 |
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吉城郡支部 1285 |
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坂下神社
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坂下神社の創建年代は詳らかではありあせんが、木曾義仲公が幼少期より度々参拝していたという伝承から、平安時代末期以前と推察されます。創建当初は社殿南面に方位して現社殿を主部とし三百米を越す参道があり、両側に十二の社殿が点在する近隣に比のない立派な社でした。義仲公の元服を機に八幡宮が下組法力屋より遷座合・・・・・・・・・・ |
509-9232 岐阜県中津川市坂下字松源地639番地 |
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中津川市支部 2296 |
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縣神社
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当社は美濃市曽代、標高437メートルの古城山の麓、曽代川が長良川に注ぐところ、小だかき丘に鎮座する。古くからの曽代の産土神であった。此処に承応3年(1654)村人達は当地の豪族西部義久公を慕って奉斎した。西部義久公は、清和天皇の後裔、姓は源、義仲の時代に姓を木曽と改め、それより七代の孫、木曽又太郎家・・・・・・・・・・ |
501-3714 岐阜県美濃市曽代287番地の1 |
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美濃市支部 2463 |
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新宮神社
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創祀未詳なれども、口碑によれば往古当社を距てる南方一里、字宮ヶ洞高岳の本宮俗に國造の森に在りしを中古二條天皇の御代今の地に奉遷熊野新宮那智の三社を奉祀せりとなり。境内に高雄山神宮寺もありて後深草天皇の建長年間に白山社を合祀。降って永正の頃領主三木良頼永禄九年国司姉小路自綱万治二年領主金森頼直等社殿造・・・・・・・・・・ |
506-0035 岐阜県高山市新宮町1640番地 |
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高山市支部 1685 |
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神田神社
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当社は元正天皇養老2年の勧請と言い伝う。延喜式神名帳に賀茂郡神田神社、美濃国神名帳に賀茂従五位下神田明神、又三代実録に貞観6年8月15日美濃国神田従五位上とあるは当神社なりと。然るに、承平年間以後の変乱相続き数百年の間に頽廃して神社も朽失せんとするに至り、嘉慶2年12月源忠広が再興修復し堂宇皆浮居氏・・・・・・・・・・ |
509-1302 岐阜県加茂郡東白川村神土604番地 |
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加茂郡支部 524 |
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白山神社
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社伝によれば平安朝依然創祀。口碑に曰く、昔は現在の社地より乾方に当たる山峡に八面玲瓏として山頂を拓き数個の巨石を配置せる霊山あり。(神奈備或は伊波佐加なるべし)世々之を高津森と唱へ、後該地に小祠を建立するに及び、高津宮と尊称す。村民の信仰殊に深く、毎年春秋二回払暁未明に老幼各自松明を点じ、登山祭祀を・・・・・・・・・・ |
509-4201 岐阜県飛騨市古川町数河字宮田1776番地 |
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吉城郡支部 1310 |
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櫻ケ岡八幡神社
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創祀永正十五年ならん。仁徳天皇の御創祀せしめ給ふ相州平塚八幡大神を勧請し奉りしものにして、子孫世々長く弘教と共に篤く当社に奉仕せり。其の後國司大名等の崇敬するもの多く、姉小路基綱卿、金森長近公を始め、代官郡代等の崇敬少なからず社殿の造営等も数回に及べり。従って祭礼等も古より荘重に行はれる。湯花祭、筒・・・・・・・・・・ |
506-0817 岐阜県高山市山口町182番地 |
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高山市支部 1712 |
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三福神社
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崇徳天皇永治元年飛騨守平時輔当区三仏寺城に在り。一日遊猟して老猿を追ひ、日枝神の霊験を感じて城下山腹に大神を勧請奉祀し、山王宮又三ノ宮と称せり。時輔より四世飛騨判官景家に至り、安徳天皇養和元年二月木曽義仲の部将手塚光盛来討し当城拒守する能はず、終に兵火の為当社も余火に罹りたるも、幸ひにご神体は事無か・・・・・・・・・・ |
506-0807 岐阜県高山市三福寺町18番地 |
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高山市支部 1700 |
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