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塩竃神社
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詳細
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創立年月日不詳なれども、孝霊天皇第三皇子伊予主五十五代第三の子浄正少弼通直の子関谷大和守定高、第百二代後土御門天皇の御宇明応五年猿田彦命を塩竃大明神と勧請すと云へり。加藤家系譜に加藤遠江守光泰の子左ェ門尉貞泰公四万石を領し、美濃國黒野城主となれり。居城の際の守護神なりと称せり。元和二年以後大垣領地と・・・・・・・・・・ |
501-0521 岐阜県揖斐郡大野町黒野字南屋敷1715番地 |
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揖斐郡支部 2907 |
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八幡神社
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詳細
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創建不詳。社地境内に相羽城跡の石柱あり。相羽城は美濃國明細記に曰く長屋大膳之亮景與及其嫡子長屋與五右ェ門景直垂井城主景教の嫡子景興に属、土岐二万石を領し、天文十六年土岐頼芸没落の時斉藤道三に不従為に道三相羽城を攻め十二月景興及景直父子共に戦死す。故に当八幡神社に石碑を建立しありて、後日八幡神社に合祀・・・・・・・・・・ |
501-0522 岐阜県揖斐郡大野町相羽2丁目1299番地 |
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揖斐郡支部 2908 |
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日吉神社
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詳細
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天正六年七月創祀。古文書棟札は往年大洪水の為流失し、現存せず。旧信州義村家系譜反旧記録に依れば、元応二年正二位青松播磨少弼國長播磨國沖に居住す。同年正月十五日後醍醐天皇に随従し、家名を赤松と改め武門となる。國長の嫡子赤松二郎判官則村は後醍醐天皇に仕ふ。然るに御若宮護良親王に従隋し沙門となり、比叡山に・・・・・・・・・・ |
501-0523 岐阜県揖斐郡大野町下方字上地1060番地 |
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揖斐郡支部 2909 |
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