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明白神社
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当社の創建年代は不詳である。当社の前を通っている古代官道は、飛騨支路の上留(上呂)駅から旧浅水橋を渡り、当社の御旅所の前を通って位山街道(飛騨匠の道)の入口迄至る。按ずるに、当社は、現永養寺が改宗前の天台宗ごろの鎮座神か、あるいは棟札に記載されている、貞享二年に今井氏三家による創建と考えられる。元・・・・・・・・・・ |
509-2508 岐阜県下呂市萩原町尾崎字四美辻941番地の1 |
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益田支部 315 |
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高根八幡神社
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当社は往古飛騨の国衙より信濃國に至る官道道筋即ち一の宿より道後に至る中六宿なり。境内を字御堂ヶ平と称するは社傍鎌倉屋館を構(当社及佛寺を建立せりと古記にあり境内に近来迄当地方稀なる大杉ありて旧社たるを忍ばしめたり)を大正末期是を伐採せり。永正中甲城主黒川越中守並に秋神城主等厚く崇敬社殿の再建修復等屡・・・・・・・・・・ |
509-3414 岐阜県高山市高根町中之宿308番地 |
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大野支部 2203 |
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富士ケ根神社
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平安時代の末期(永暦1年1160)源義朝を尾張に於て殺害せし長田庄司忠致は、一時富士の裾野に逃れ居るところ、義朝の子頼朝が富士の巻狩をなし之を捕へんとすることを知り、身をもって信州諏訪に落ちたるところ、再び頼朝の追手がかかり、一族を連れて美濃苗木の地に逃れ、大久郷に居を定め、此の山を富士ケ根と名付く・・・・・・・・・・ |
508-0101 岐阜県中津川市苗木字富士ケ根1956番地の3 |
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中津川市支部 2226 |
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六社神社
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創祀未詳。明治六年一月村社に列す。・・・・・・・・・・ |
501-3521 岐阜県関市下之保字岩有瀬1143番地 |
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武儀支部 2660 |
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湯之本津島神社
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詳細
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当神社は元津島神社と称し、その創立年月日は不詳なるも、明治維新村社に列せられしを、明治四十一年六月二日大古井神社に合併したりしを明治二十二年四月二十四日を以て旧地に再建して津島神社と称する社前に湧出する冷泉の守護神ととして崇敬せり。・・・・・・・・・・ |
509-3417 岐阜県高山市高根町池ヶ洞字洞ケ谷120番地の2 |
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大野支部 2205 |
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八幡神社
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神社古文献に依れば元禄十三年十月の創建に係わり天明三年十月再建。社人又兵衛とあり。古来当組の村社なり。・・・・・・・・・・ |
509-3107 岐阜県下呂市小坂町無数原538番地 |
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益田支部 340 |
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