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東照宮
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東照神君徳川家康公没後三年の元和五年(1619)、時の高山藩主金森家三代重頼(幼少時駿府にて小姓として最晩年の家康公に仕えた。)、高山城内に東照権現社を勧請。十年目の寛永五年、城に西面する西之一色鴻巣の杜尾崎に遷座したのが飛騨東照宮の創始である。金森藩六代頼ときの延宝八年(1680)社殿を改修、清鏡・・・・・・・・・・ |
506-0031 岐阜県高山市西之一色町1004番地 |
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高山市支部 1683 |
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飛騨一宮水無神社
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古来、飛騨国一ノ宮として名高く、創始年代は神代にありと社伝にもあるが詳らかではない。史上にあらわれるのは平安初期、貞観9年(867)神位を授けられた記事にはじまる。中世鎌倉時代には社領は付近18ケ村に達し、社家12人と社運が隆盛であったが、戦乱にかかわって荒廃をみた。江戸時代に入って歴代の領主、代官・・・・・・・・・・ |
509-3505 岐阜県高山市一之宮町大野郡宮村字石原5323番地 |
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大野支部 2208 |
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若宮神社
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創建年月及縁由不詳・・・・・・・・・・ |
504-0928 岐阜県各務原市山脇町字仲張619.620番地の1の1 |
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各務原市支部 803 |
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大和神社
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一、境内 往古は二町歩余であったが、その後開墾して神田となったため、今は八反二畝三歩に末社神明社の境内一反四畝二歩を加へ九反六畝五歩となる。一、参道は享保以前は中六間であったが、両度の開墾の際三間に減じ、明治二十二年北方街道改修の時参道を中断した。隔離後田となった部分は5431の2。一、鳥居は往古は・・・・・・・・・・ |
501-0603 岐阜県揖斐郡揖斐川町上南方543番地 |
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揖斐郡支部 2952 |
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北方神社
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上代此の地は三輪氏が主格者として治めていた。其の頃、天照大神を桂山に祀って中心とし、大国御魂を神山(三輪神社)に、大己貴神を倭山(大和神社)に、大己貴神御子事代主命を栗生山(北方神社)に祀っていた。(美濃国神名帳天文19年に記されている従五位下神三御子明神が北方神社である)其の後東大寺領となり揖斐郷・・・・・・・・・・ |
501-0601 岐阜県揖斐郡揖斐川町北方1427番地 |
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揖斐郡支部 2947 |
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六條神社
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当社は主祭神に素盞鳴尊(即牛頭天皇又は武塔天皇とも称する)、配祀神に天照皇大神、月讀命、豊受比□羊命、應神天皇、水波能賣命、迦具土神、不詳一柱他八百萬の大神を奉斎する。当社は人皇第五十九代宇多天皇(紀元1547)の第九皇子敦實親王が京都六條に居住されその別荘地を美濃国厚見郡長橋之荘(現在の三里六條)・・・・・・・・・・ |
500-8359 岐阜県岐阜市六条北2丁目2番地7号 |
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岐阜市支部 997 |
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白鬚神社
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創立縁由不詳と雖も里伝に曰く川島郷の尊地字雄栗木水防式内川島神社の説あり。此の地寛永年度木曽川洪水の為流失因て該地より移転配祀の内、武甕槌神、経津主神、大児屋根命、姫命、応神天皇は元市松本字北松元無格社春日神社祭神にして、大正四年九月十六日岐阜県の許可を得て合祀。配祀の内軻遇槌神は当社境内愛宕神社祭・・・・・・・・・・ |
504-0925 岐阜県各務原市松本町1丁目212番地 |
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各務原市支部 797 |
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須佐之男神社
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創立は旧記伝来無く不詳と雖も年暦古きにと氏子中に伝承せり 棟簡建立 元和五年巳未と記載あれとも全再建立と云へり 本村字を天王と称する 根元は此神社ありし故に號して地名とし次第に氏子繁茂一部を成せり 明治二十一年下半期津島神社を須佐之男神社と改む・・・・・・・・・・ |
501-2105 岐阜県山県市高富1452番地の2 |
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山県市支部 1742 |
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河合神社
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創祀未詳なれども古老の伝に曰く、当社はいと古は村中産土神と称すること久し。元は八重垣神社と称す。然る処明治五年三月旧苗木藩の令を受け神殿再び造営し、河合神社と改称す。・・・・・・・・・・ |
509-7207 岐阜県恵那市笠置町河合字中切1095番地 |
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恵那市支部 1583 |
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三福神社
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崇徳天皇永治元年飛騨守平時輔当区三仏寺城に在り。一日遊猟して老猿を追ひ、日枝神の霊験を感じて城下山腹に大神を勧請奉祀し、山王宮又三ノ宮と称せり。時輔より四世飛騨判官景家に至り、安徳天皇養和元年二月木曽義仲の部将手塚光盛来討し当城拒守する能はず、終に兵火の為当社も余火に罹りたるも、幸ひにご神体は事無か・・・・・・・・・・ |
506-0807 岐阜県高山市三福寺町18番地 |
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高山市支部 1700 |
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