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飛騨一宮水無神社
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古来、飛騨国一ノ宮として名高く、創始年代は神代にありと社伝にもあるが詳らかではない。史上にあらわれるのは平安初期、貞観9年(867)神位を授けられた記事にはじまる。中世鎌倉時代には社領は付近18ケ村に達し、社家12人と社運が隆盛であったが、戦乱にかかわって荒廃をみた。江戸時代に入って歴代の領主、代官・・・・・・・・・・ |
509-3505 岐阜県高山市一之宮町大野郡宮村字石原5323番地 |
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大野支部 2208 |
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若宮神社
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創建年月及縁由不詳・・・・・・・・・・ |
504-0928 岐阜県各務原市山脇町字仲張619.620番地の1の1 |
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各務原市支部 803 |
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恵那神社
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創建は不詳ですが延長五年(九二七年)全国の神社の中で大社を官社と定められ、朝廷から幣帛料を賜った神社として、延喜式神明帳に登載された式内社です。社の古さを物語るように拝殿前には、樹齢推定千年と言われる夫婦杉(県指定重要天然記念物)が雄々しく並び樹勢今なお盛んです。太古天照大神の胞衣(えな)へその緒・・・・・・・・・・ |
508-0001 岐阜県中津川市中津川字正ケ根3786番地の1 |
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中津川市支部 2210 |
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宮谷神明宮
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創建年代不祥。社頭の「夫婦杉」は五六百年以上と推定され当社の由緒を物語っている。また、源平時代、悪源太義平にまつわる幾多の地名・伝説等がある。戦国時代の天文五年(1536)、益田川の洪水により流失した字白山の白山宮、字丸島の八幡宮を合祀して「三社宮」と称した。寛永二年、都筑九郎四郎英昌が国主金森氏・・・・・・・・・・ |
509-2506 岐阜県下呂市萩原町羽根字宮谷2842番地 |
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益田支部 313 |
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伊太祁曽神社
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久安六年創祀。当社は近衛天皇久安六年創建。元享三年二月小笠原信濃守貞宗小八賀郷(現在の丹生川村)を兼領し、代々目白城を当区笠根城に置き、当社を尊崇して造営管理せり。古来当区の産土神なり。・・・・・・・・・・ |
506-2117 岐阜県高山市丹生川町根方字乙保木577番地 |
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大野支部 2143 |
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楢尾神明神社
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当社の創建は棟札によると「永禄六年十一月十六日、新建立本願人、森清左衛門」とある。
この地は楢尾山の中腹にあって、戦国時代郡上郡馬瀬郷に行く国境の要害地にあたるため、見張城として楢尾城(甘草城)の砦があり、また、山麓には日和田峠口の関所があった。この地を跡津村「古関」といった。里伝に、当社創建・・・・・・・・・・ |
509-2505 岐阜県下呂市萩原町古関字楢尾1553番地 |
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益田支部 312 |
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加茂若宮神社
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創祀未詳なれども、飛騨國式外十神の一なり。国史見在三代実録陽成天皇天慶五年十月九日飛騨国正六位上加茂若宮神社従五位下を授く云々。中古領主江馬家二代高原太郎平朝臣、寛喜二年三月当社諸殿再建して、神器宝物を奉納せられ、及び旧式に依り祭祀を執行し給ふ。この年社前を隔つ字沖野に馬場を造り、家臣数十名に申して・・・・・・・・・・ |
506-1121 岐阜県飛騨市神岡町殿486番地 |
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吉城郡支部 1228 |
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八幡神社
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寛文元年九月十五日創祀。明治五年三月二十三日神鏡を京都より奉迎字松源地坂下社へ合祀。明治八年九月十三日元氏子還座の儀を願い出、許可。明治八年九月十三日復祭。
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509-9232 岐阜県中津川市坂下字合郷1494番地 |
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中津川市支部 2297 |
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太田神社
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古来猿田彦大神は宇沖田に鎮座ましまし、氏神の神社祭神号を白髭大明神と称し、勧請年月不祥なりといえども従来村内挙りて厚く尊敬せり、末座大神は従前各組に一社づつ其余は各組に散乱ましましたり、然るに明治四年辛末三月旧苗木領主の命により、此の所へ新宮を築き社殿を営み、氏神と遷座すると同時に、村内小祠に至るま・・・・・・・・・・ |
509-8232 岐阜県恵那市飯地町137番地の1 |
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恵那市支部 1669 |
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神明神社
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創祀不詳なれども、享保四年八月蔵前明細帳に前年合祀の五社若宮、吉野、稲荷とともに寛永以前の御鎮座なるは明らかなり。寛永十二年大久保加賀守様御検。敷地一畝十五歩神明、敷地五畝歩稲荷、敷地一畝歩若宮、敷地一畝歩蔵王権現。文化三年十一月二十一日文書、当村神明宮御湯立例年十月十六日支配治衛門致来り申候云々。・・・・・・・・・・ |
500-8233 岐阜県岐阜市蔵前6丁目8番4号 |
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岐阜市支部 952 |
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