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八幡神社
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詳細
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当社は寛文五年五月里人安田孫三郎伊勢神宮に至り御師某の斡旋に依り八幡大神を勧請し、安田弥兵衛所有地壱反二畝余を寄付して社地とし、創建す。弥三郎は安田浄通といふ人の孫にて同弥五右衛門の子同通意の従弟なり。その後境内猶狭隘なるに依り同金十郎高淵村川口太郎兵衛の両人各社地を寄付せりとぞ。斯くの如く由緒ある・・・・・・・・・・ |
503-1382 岐阜県養老郡養老町船附字宮辺653番地 |
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養老上石津支部 3204 |
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子安神社
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創祀不詳であるが、初めて史籍に見えたのは、三代実録に貞観十八年七月十一日、授美濃國正六位上児安神社従五位下とあるのが最も古く、美濃國神明帳の出来た天暦の頃には不破郡八十二社の内正二位児安大明神とあり。年次を追って授位された由緒ある神社である。按ずるに、宮代南宮神社の中に児安神社があって、三代実録及び・・・・・・・・・・ |
503-2213 岐阜県大垣市赤坂町字羽根4026番地 |
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大垣市支部 2083 |
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八幡神社
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当社は今より約700年昔、土岐氏の一族本村に居住し、氏神として八幡大神を奉祀し、子孫繁栄、無病息災の守護神として崇拝し、殷賑を極む。其の後粕川の大氾濫等により開墾せし土地の為に境内など頽破し、本殿も亦大被害を蒙りたり。享保5庚子年3月社殿を修復す。時の領主大垣藩戸田家四代目藩主氏定公より祭資料奉献せ・・・・・・・・・・ |
503-2416 岐阜県揖斐郡池田町萩原123番地 |
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揖斐郡支部 3061 |
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八幡神社
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創祀不詳。古老の口碑に往古宇佐神宮の御分霊を奉祀して、国主大明神と称し、遠近の人々大いに崇敬せり。然るに天文年中より日を逐うて衰微し、延宝の始めには殆ど廃絶に及びしかば、村民の願望によりて延宝八年再営して八幡神社と改称せり。合祀津島神社(建速素盞鳴尊、豊受姫命、久々能智命)創建年月不詳。往古疫病流行・・・・・・・・・・ |
503-1621 岐阜県大垣市上石津町下多良687番地 |
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養老上石津支部 3234 |
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八幡神社
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創祀未詳。里伝に曰く、従来の村社にして往古は姫郷五ヶ村の産土神なり。中古にして別れて今唯本村のみの村社なり。昭和五年十二月二十日境内社白山神社、神明神社を合併す。・・・・・・・・・・ |
509-0245 岐阜県可児市下切字古入795番地の1 |
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可児支部 616 |
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八幡神社
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元亀二年十一月創祀。戦国時代織田信長公は余暇に清洲より二、三人の鷹匠を伴ひ鷹狩の為に屡々当地に出道した。この頃狐穴村に道家祖看と称する地方の豪族ありて微行せん信長と頗る懇親の交わりを結び、同邸に度々宿泊するを楽しみとせり。其の来泊中織田信長公に対し畏くも正親天皇より密勅を奉じて勤王家侍従立ち入り宗継・・・・・・・・・・ |
501-6232 岐阜県羽島市竹鼻町狐穴1316番地 |
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羽島支部 231 |
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八幡神社
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天和二年七月二十九日創建。元禄十一年九月六日再造営す。此の時隣接舟見村も亦此の神社を崇敬し、二ヶ村氏神となす。・・・・・・・・・・ |
503-1265 岐阜県養老郡養老町若宮17番地 |
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養老上石津支部 3130 |
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八幡神社
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創祀未詳。由緒記述なし。・・・・・・・・・・ |
501-3936 岐阜県関市倉知字台所山3874番地 |
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関市支部 906 |
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八幡神社
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詳細
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創建年月及縁由不詳・・・・・・・・・・ |
501-1501 岐阜県本巣市根尾越波924番地の1 |
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本巣郡支部 2849 |
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広田神社
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寛文十一年九月創祀古老の口碑に字参宮沢に小社寛文十一年九月洪水の節、山崩流失。字前山三川中に止まるを奉勧請。明治六年再興す。・・・・・・・・・・ |
509-7202 岐阜県恵那市東野字前山2175番地の2 |
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恵那市支部 1570 |
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